Difference between favor and love.
板垣学と板垣菜々子は美しいと言って差し支えがない。
菜々子は兄に比べるとほんのすこしまろい輪郭をしているものの、はっきりとした目鼻立ちで女性にしてはつくりがシャープだった。それでも人にきつい印象をもたれないのは、彼女の表情が柔和だからかもしれない。
すこしつりあがった二重の瞳が好奇心に満ちて、年相応でかわいらしいのだ。
学は、いわゆる美少女と呼ばれる妹によく似ていると言われ続けてきた。女性的な外見のわりに骨っぽい男でしかない学としては、妹が兄に似ているの言い間違いではないかと常々思ってきた。
そもそも学としては、綺麗だの可愛いだのという麗句からはやく卒業したかった。それでも、そうやって見た目をほめられる度に学は嫌な顔ひとつせずに笑って受け取っていた。おおらかにたちまわるのが、彼の処世術でもあった。
「おおー。やっぱり菜々子ちゃんかわいーな」
お兄ちゃんとしては心配なんじゃねえの? と笑ったのは木村だった。本音半分、からかい半分な木村の世辞に板垣はそんなことないですよと返しておく。
鴨川ジムのプロ陣営では、菜々子はすでに板垣の妹として顔を知られている。しかし練習生ともなると毎日顔を出す人ばかりではないし、運動不足の解消にボクシングをかじっている者もいる。そういったある意味ではレギュラーではないジム生の間で、菜々子はちょっとしたアイドルになっていた。
いまどきの風潮では、汗水たらしてスポーツに打ち込む男などに女性は振り向かない。一部の顔の良い層は何をしていたとしてもファンがつくだろうが、平凡な男たちにとっては縁のない話だ。そして今世間でもてはやされているのは、運動経験なんてものがろくになさそうな小奇麗な顔をした男たちである。
ただでさえ顔というハンディキャップがあるというのに、この上ボクシングなんてハングリーな格闘技をやっていようものなら、初対面の段階でナシと思われてしまう場合がほとんどだ。
その点だけでも菜々子は貴重だった。
兄がプロボクサーで、本人も偏見がない。それにくわえて女子高生でしかも美少女とくれば、これはもうめったにお目にかかれない稀有な存在だ。千載一遇のチャンスである。
なんとかお近づきになりたい。うだつのあがらない男たちが頼ったのは、くだんの美少女の兄ではなく、悩める子羊のお兄ちゃんこと木村達也だった。
鷹村は例外としておくとしても、青木もなかなかに厳つい顔をしている。
喧嘩っ早い人間が流れ着きやすいスポーツであるため、顔立ちがどうしても強面の男たちが多い中、近づきやすくて橋渡しができそうなタイプは木村以外にはいなかった。
顔だけならば日本チャンプの一歩よりも強そうな面々に「紹介してくれ!」と泣きつかれた木村は、とりあえず写真とかアルバムとかを持ってきてもらえばいいんじゃないかと提案した。
いきなり本人と話すよりも、先ずは情報を手に入れた方がいいという木村のアドバイスにそろって頷いた男たちは、現在食い入るようにして板垣家のアルバムを見ていた。
「菜々子ちゃん、彼氏とかいそうだけどなあ」
「それが全然なんです」
木村のわざとらしい切り出しに板垣が答えた。
「告白とかはされるみたいなんですけど。全部断っちゃってるみたいで」
「この年頃の女の子なら好きな人の話しで盛り上がったりするだろ。普通」
珍しいという木村に、板垣はちょっとオジサンみたいなこと言わないでくださいよと笑った。おっさん呼ばわりはやめてくれと木村も笑う。終始和やかな雰囲気だった。
鴨川会長が不在で鷹村が走りにいっている間、ジムはいたって平和だ。会長がいれば休憩時間でもおしゃべりはしにくいし、鷹村がいればいたで大騒ぎになるので落ち着いてなんていられない。
「菜々子は先輩が好きみたいなんですけど」
「お兄ちゃんから見てどうなんだよ」
「うーん。ちょっとミーハーなところがありますからね」
木村は脈はあるのかときいたのだが、板垣はするりとかわしてすりかえた。器用なところは何もボクシングだけではない。
「ボクが先輩の試合ばかり見ているせいかもしれませんけど。菜々子の初恋なんじゃないかなあ」
小首を傾げるというよりはすくめるようにして板垣は話した。なるほど、と木村は思った。
間柴のところのように仲の良い兄妹だ。菜々子は菜々子で大好きなお兄ちゃんが敬愛している一歩に興味があったに違いない。
板垣が持ち込んだ菜々子の写真などをあつく見つめつつ、耳をダンボにしているジムメートをよそに会話は弾んでいく。実の兄からの有益な菜々子情報に、神経をはりめぐらせる男たちの熱気を背中で感じた木村は苦笑した。
こんにちは、という声とともにジムの入り口に一歩が顔を見せた。すぐさま顔をそちらへと向けた板垣は、「先輩!」と一歩に呼びかけた。
お前もたいがい一歩が好きだよなあという木村の呆れた声を、板垣は聞かなかったふりをする。
「今日は遅かったじゃねえーか」
「ええ。ちょっと準備に手間取っちゃって」
八の字に眉をさげて一歩は答えた。板垣は言ってくれたら手伝いにいったのに! と挙手までして一歩にアピールしている。
板垣のおおげさなリアクションに慣れている一歩はありがとうと言っていた。やけにあっさりと人の言葉を受け流す一歩は、木村にとっては新鮮なので面白かった。
「そういやあ今日は板垣がアルバムもってきてたっけ、一歩も見るか?」
「アルバム?」
悩めるジムメートに救済をする筈の当初の予定はすっかり頭の片隅へと追いやってしまったらしい。木村は背後の集団からまわってきた一冊を一歩に手渡した。
「見てもいい?」
「そんなにたいした写真じゃないですけど」
どうぞ、と板垣が頷いた。あまり動揺していない様子に木村はつまらないなあと思った。どうも鷹村の悪い癖がうつったようで、こうして時折木村も後輩たちをからかいたくなるのだ。もっとも、木村のちょっかいのかけ方は控えめなので、鷹村と違って嫌がられることも警戒されることもなかったりする。
二人が肩をならべてアルバムを開きだしたので、木村も二人と一緒に写真をのぞきこんだ。
各ページに二枚ずつ収納された写真は大事にされていたのか、色褪せもなく綺麗なものだった。
「わあ、ちっちゃい頃の学くんだよね? かわいいねえ」
こっちは菜々子ちゃん? と嬉しそうにたずねる一歩に板垣はそうですよと答えた。
「小学生ぐらいの頃じゃないですかね。多分林間学校とかの前ぐらい」
学校行事でのスナップもいくつかおさめられているアルバムらしく、板垣は一歩がきくたびにひとつひとつ丁寧に答えていた。木村はときどき相槌をうつだけにとどめている。
とうとつに、一歩が「あっ」と声をもらした。アルバムにばかり目をやっていた板垣と木村がひょいっと顔をあげる。
「この写真、高校生の時のかな? 学くん、かっこいいね」
菜々子とツーショットでうつっている写真を指差しながら一歩が笑った。めずらしく板垣が言葉につまったので、木村がフォローしてやった。
「おお、ほんとだ。この頃モテモテだったんだろ」
やるねえ、と続けて木村は板垣を肘でつついた。はっとした板垣がそんなことはないとやんわり否定する。
一歩は根がまじめなせいか、人をほめるときも本心からの言葉になりやすい。お愛想やおべっかが苦手で、素直に思ったことを口にするので、一歩のこうした話し方に慣れていない場合気恥ずかしくて居づらくなる。
その最たる者が宮田なのだが、一歩自身が自分の破壊力を知らないので、いまだに改善される気配はない。
そんな一歩のストレートなほめ言葉に、板垣は少し面食らってしまった。
「やっぱり兄妹なんだなあ。髪の色も似てるけど、顔立ちが良いのも一緒みたい。菜々子ちゃん、少し学くんに似てるよね? 女の子だからかっこいいっていうよりもかわいいけど」
よくもすらすらと口にできるものだと木村は感心した。
口下手で不器用な一歩は、本人が意識しない時にかぎって人たらしの能力を見せつける。彼女のようなポジションにいる久美にすら気のきいた話題をふれないくせに、こういうときばかりいかんなく発揮するのだ。
板垣は、さっと赤みばしった顔を隠すようにそっぽを向いた。
「それ、今度菜々子にも言ってあげてください。喜ぶから」
ぽかんとした表情のままうんと頷く一歩と、茹蛸のような板垣のやりとりを見て、あまりのおかしさについつい木村がふきだしてしまったのも、無理はない。