COUNTDOWN
アイツは、オレのものだと思っていた。
ジムを移籍してしまった宮田だったが、気分転換も兼ねてロードワークはときおり鴨川ジム在籍の際に使っていたコースを走ることにしていた。ときおり青木や木村とすれ違ったり、一歩に見つかったり、宮田の知らないジム生を見かけることもあった。
少ないとはいえ知人とよく会う道だ。今日鷹村と出くわしたのも宮田にとって驚くべきことではなかった。
「お久しぶりです」
仏頂面でちいさく会釈した宮田に、鷹村は少し時間あるかと聞いた。いつになく真剣な様子に宮田はいぶかしんだものの、言われるままに足をとめた。
一言も話さずに、鷹村は宮田を見ているだけだった。落ちかけた夕日に、影がひきのばされていく。
しびれをきらした宮田が口をひらいた。
「なんスか」
用件を催促するような物言いだった。端整な顔立ちの宮田は、これで自分が誤解されるということを知らない。言葉が足りないことでともなう弊害を、宮田は軽視しがちだ。
「一歩のことだ」
幕之内? と宮田は呟いた。独り言のようなオウム返しに鷹村の目が細められる。
「一歩の様子が変でよォ。藤井チャンがお前の記事とビデオ持ってきても反応しやがらねえ。いつもだったらうるせぇぐれーに宮田くん宮田くんって騒ぐくせしてここんとこサッパリだ」
何かあったんじゃねえのか、お前らと鷹村は一息に続けた。うかがうというよりも尋問に近い。何かあったのかとかんぐっているわけではなく、鷹村の中ではすでに宮田が何かしたという事が明確なのだろう。
宮田は、緊迫した面持ちの鷹村に困惑した。何しろ心当たりがまったくないのだ。切れ長の双眸が見開かれる。宮田らしくない様子に鷹村はわずかに目を見張った。ついで、音がする程奥歯を噛みしめた。
鷹村の視線は、宮田を射殺すほど鋭い。試合の相手を前にする時よりも一段と厳しい表情の理由を、宮田は考え付かなかった。
「マジで何も思いあたらねえってか」
「アンタがさっきから何言ってんのかもわかんねえよ」
人を殺していそうな目つきに、宮田はくってかかった。一瞬ひるんだものの、宮田とて鷹村に劣らない気性の荒さがある。いわれのない事でせめられるのは我慢ならなかった。
鷹村は、意外にも簡単にその場をひいた。そーかよ、と一言だけ宮田に返して、すっと視線を外したのだ。
鷹村らしくないと宮田は思った。
「ンじゃあよ、一歩はオレ様がもらってくぜ」
黙ったまま鷹村を睨みつける宮田に、鷹村はさらりと言ってのけた。宮田ははあ!? と声をあげた。めったに崩さない顔がゆがんでいる。
「ちょっと待てよ! 鷹村さん、どういう」
「じゃーな。ロードの邪魔して悪かった」
言いたい事だけ言い切った鷹村は、くるりと宮田に背を向けてしまった。宮田は、呼び止めようと鷹村の背中に言葉を投げたが、そんなことでは鷹村はとまらない。腕でもつかまえれば足もとまるかとも思ったが、今の鷹村には容易に近づいてはならない気配があったので、走り出そうとした足をとめて、宮田は立ち尽くした。
「で、オレんとこに電話してきたってわけね」
肩をすくめたのは木村だった。相変わらず世話のやける先輩だな、とは宮田に対する嫌味である。
道中でだいたいの事のあらましを宮田から聞いた木村は、訳知り顔で頷いてためいきを吐いた。わざわざ呼び出した方の宮田は、当事者であるはずの宮田よりも精通していますといった木村の態度に眉間にしわをよせることで抗議した。
「とりあえず、中入りましょう」
「おー。お前のおごりな」
最初からそのつもりですよという宮田に促されて、木村はファミレスに入った。時間帯としてはお昼時をすぎているため、お客の入りも多くなく店内には人もあまりいなかった。宮田としては木村と話しをしたかっただけなので好都合である。
ぽつぽつとうまっている喫煙席からはなれた禁煙席へと店員に案内され、二人は窓際の席に腰を落ち着けた。
「それで、一歩の様子がおかしいのはオレも知ってるけどよ」
いったい何を聞きたいんだ、と木村は続けた。人と話す事が苦手な宮田としては、察しのいい木村は非常にありがたかった。ついでに言えば、木村は宮田と一歩の間柄が世間一般でいうライバルの枠におさまっていないことも知っているので、そのあたりの事も宮田から切り出しやすかった。
「何か、鷹村さんがオレのせいだって言うんですけど」
木村は、へえー鷹村さんがねえと呟いた。なんとなく事情をしっているだけに、多分面倒事になるだろうなという予感があった。やや辟易したような表情で木村は宮田に答えてやる。
「あのなあ。宮田、お前…一歩にちゃんと告白はしたのかよ?」
は? と聞き返した宮田が、オレは鷹村さんが勘違いしてる原因を知りたいんですけど、と言おうとして口を開きかけた。しかし木村はそれを制して話しを続ける。
「オラァ一歩からも相談されてんだよ。最近一歩の様子が変なのは確かに宮田のせいなわけ」
「…? 俺は別に何もしてませんよ」
「だからそれが悪いって言ってるんだよ」
分かんないかなアと木村は言った。あきらかに木村は宮田に呆れているので、宮田はぐっと押し黙った。
「なあ、お前ら付き合ってんの?」
「そのつもりですけど」
答える宮田の声はかたい。
ちょうど店員が注文をとりにきたので、木村がホットコーヒーとフルーツパフェをたのんだ。仮にもボクサーで、宮田ほどではないにしろ減量のある木村に、ついつい宮田は「そんなもの食べるんですか」という小言を言ってしまう。
「んだよ、たまにはいーだろ。オレだって甘いもんぐらい食いたくなるっての」
「別にかまいませんけど」
けどってなんだよ、と木村はジト目で宮田を見る。
いい加減話をもとに戻したかった宮田は、そっぽを向いたまま話しかけた。
「そんなことより、さっきの話…よくわかんないんですけど」
「ああ、それね。お前さあ、肝心な事言わずにぜーんぶシちゃったんだろ」
「全部?」
「キスとかそれ以上」
そう言われて、宮田はああと納得した。
「しましたけど、普通付き合ってりゃあすることでしょ」
「お前の理屈じゃあそうかも知れないけどな、一歩はそうじゃないわけ」
わかる? と木村は宮田にたずねた。小馬鹿にするような確認の仕方に宮田の不機嫌面がひどくなった。
先ほど注文をとりにきた店員とはまた別の店員が、おぼんにコーヒーとパフェをのせて木村たちのいる席へと持ってきたので、木村はいったん言葉をとめた。
パフェを机においてもらった木村が、店員にむかってどうもと声をかけた。セミロングの女性は失礼しましたと言って立ち去る。
後姿を目で追った木村が「今のコ可愛くないか?」と宮田に話題をふった。
木村はよくそういった事を言うので、なれている宮田はそうですかねと淡々としている。ここに鷹村がいれば間違いなく、つまんねえ野郎だな! という突っ込みがいれられたに違いなかった。
ヨーグルトソースとアイスをからめて食べつつ、木村が宮田に説明する。
「世間一般の女の子みたいなもんなんだよ、一歩はさ。態度よりも言葉で言わないと伝わんねー相手なの。いっくらお前があいつに何かしてやっても下手すりゃあ…ど、どうかしたのかな宮田くんっとか何とか言って慌てるだけだぜ」
妙に上手い一歩の口真似を交えつつ、木村は丁寧に宮田に教えてやった。要約すれば、付き合っていると思っているのは宮田だけで、一歩はそう思っていないという事だった。
宮田の目が限界まで見開かれた。木村は、おお、珍しいもん見たなと苦笑した。
「じゃあ幕之内は何だと思ってるんですか」
「さあな。青木のヤツにそれとなーく聞いてたとき、それってセフレじゃね? とか言われて真っ青になってたけどよ」
あまりにもな展開に、宮田は開いた口がふさがらなかった。よりにもよってなんて事を、とこの場にいない青木相手に怒鳴ってやりたくなった。
「でも、正直一歩から話し聞いてるオレもそー思うぜ」
オレはお前からも話し聞いてるからわかってるだけで、と木村は付け加えた。
いちども口をつけられていないホットコーヒーとは対照的に、喋りながらも木村はパフェをきりくずしている。
「で、こっからもっとお前には悪い話になるんだけど」
「そんなの今更でしょう」
「まあな」
ほんの少し顔色の悪い宮田に、木村はあえてストレートな言葉を選んだ。
「どうも、一歩のヤツ…鷹村さんにころがりかけてんだよ」
「な…! どういう事ですか、ソレ」
「ほら、一連の流れで説明すっと長くなるけどさ」
一歩はお前との関係はなんなんだろうって悩んでたろ? と木村は続けた。宮田は、黙って頷いた。
「そんで青木に聞いて、一歩の中じゃあセフレ説が最有力な関係になってるわけ。不安だし悲しいしいつ捨てられるんだろうとか…根がまじめだからネガティブな事しか考えなくなんだろ」
言われてみればそうかもしれない、と宮田は思った。伝わっていると思っていたが、よくよく考えれば宮田は一歩に対して一度も好きだと言った事がなかった。会うたびに好きだよ、と言われて宮田は満足していたが、必要以上に好意を口にしていた一歩は、不安だったから自分に言い聞かせていたのかもしれない。
「そんなときに自分に好きだ好きだって言ってくる人が現れてみろよ。落ちるだろ、普通」
「…鷹村さん、幕之内のやつに」
宮田が言わんとしている事を察して、木村が答えた。
「ああ。好きだって言われたっつって相談にきた」
まんざらでもない感じだったぜ、とパフェの底の方にあるフレークをクリームと一緒にほうばって木村は話す。
「ああ見えて鷹村さん、ラテン系だからな。あつくるしいぐらい好きだの愛してるだの囁きまくってんだろ」
最後の一口分をスプーンにのせて、木村は「今はまだお前に分があると思うけどよ、間違いなくもってかれるぜ」と言い切った。
宮田は、今しがた知ってしまった事実に何も言えないでいた。木村は、呆けている宮田に対して何か言いたそうな視線を投げてくるばかりで、口を開かなかった。
冷め切ったコーヒーを前に、宮田は握り締めた拳を膝の上で落ち着かせることしかできなかった。目に見えてうなだれる宮田に、木村はことさらやさしく声をかける。
「お前次第だろ? こっから心を入れ替えて接してやればいーって。一歩はお前のこと、好きなんだからよ」
自信持てよと励ます木村に手付かずのコーヒーをさしだして、宮田は席を立った。きびきびとしたきれのある動作に一瞬木村はのけぞった。
「木村さん、これで会計しといてもらえますか」
「おうサンキュー。んじゃあ気をつけて行ってこいよ」
手渡された三千円ごとひらひらと手をふって、木村は宮田を送り出してやった。ちいさく宮田が礼を言ったのも、木村は聞き漏らさなかったが、聞かなかったふりをしておいた。
「ま、これでダメだったらなるようになるだろ」
窓ガラスから見える宮田の後姿に、木村は独り言を言った。宮田からゆずられたコーヒーに手をのばす。
冷めたコーヒーには、甘さでしびれた舌に心地いい苦味があった。