I've never loved anyone as much as I love you.
「いい加減バシッと決めろよなあバシッとよォ」
「そんなこと言ったって、アイツがまったく気づかないんですよ」
意味もなくポージングする鷹村をさらりとかわして、宮田はオレのせいじゃないと口を開いた。彼がいつもよりも心なしか素直なのは、気心の知れた面子での飲み会だからである。
「そんなこと言って、ろくにアプローチしてないんだろ?」
俯き気味にちびりちびりと酒をたしなむ宮田に声をかけたのは木村だ。青木も横で頷いている。
円を描くようにして座る男ら四人の話題は、もっぱらここにはいない幕之内一歩についてだった。最近の酒の肴はおもに宮田の恋愛相談となっている。そのため一歩を敬愛してやまない板垣と、当の本人である一歩を抜いた鴨川ジムのメンバーが、宮田を交えてなんだかんだと太田荘で飲み明かす事がままあった。
近頃集まる回数が頻繁に増えているのは、ひとえに煮え切らない宮田と一歩のせいである。
「ストレートに好きだってことくらい、もうとっくに言ってありますよ」
拗ねたような口ぶりで宮田は言った。宮田の言葉に木村は目を見張って、青木がヒュウッと口笛を吹いた。
鷹村はいつものように偉そうにほおうとニヤついてみせた。
「それでどーなったンだよ」
先を促す鷹村は、いやらしい顔を宮田に近づけた。宮田は一瞥して、嫌そうに顔をひそめている。
「どーもなってないですよ。にこにこ笑いながらボクも宮田くん好きだよ、とか言ってましたけど」
「ンだよ、晴れて両想いじゃねえか!」
三人の声があがった。全員語気が強いのは、一歩の答えの何が気に食わないのかわからないからだ。
「違いますよ。アイツがまともにオレからの告白を受けたら、そんなあっさり答えなれないから」
多分友達としてとかふざけたこと思ってるに違いない、と宮田は舌打ちした。目がすわっている。
「あ、あー。なるほどね。まあ確かに一歩のやつ、慌てそうだもんな」
「けどよォ、案外とアッチはアッチでちゃんと答えたつもりかもしんねえぜ?」
「それはないですね」
青木による一歩の救済は、他でもない宮田のにべもない態度で切っておとされた。
傍から見ていればわかりやすいほど一歩は宮田を慕っている。ちょっと普通じゃないぐらい宮田が好きなんだろうなあと、鴨川ジム内でも言われるぐらいだ。見ていて非常に鬱陶しいほど一歩は宮田にぞっこんだった。まさに日本において絶滅したであろう乙女のように、宮田の一挙手一投足に舞い上がったり落ち込んだりとせわしない。
宮田も宮田で満更でもないような顔をしてやればうまくいくだろうに、下手にプライドがあるものだからいつもつっけんどんになっていた。容姿がいいだけに、そっけない口をきく宮田は怒っているようにも見える。
誤解をまねくような真似を宮田もしているので、これじゃあ埒が明かないと踏んだ青木や木村、それから「オメーら見てっとイライラすんだよ!」と立腹した鷹村の三人で何とか間をとりもってやろうとしているのだが、これがなかなかうまくいかない。
これでも三人の教授の賜物で、なんとか宮田は改善されてきているのだ。先ず不用意に「うるせえ、だまってろ、邪魔」という単語を使わなくなった。それにギラギラしすぎている視線も緩和されてきている。近寄りがたい顔を何とかしろという鷹村の指摘にも、宮田は必死でこたえたのだ。
木村と青木は、手鏡でひっそり笑顔の練習をしていた宮田を見て涙したことがある。そんなたゆまぬ努力のすえ、宮田もだいぶ柔和な表情で一歩と話せるようになった。とはいっても、何もしらない人から見れば邪険に突っ放すことがなくなったというだけだが、たいした進歩である。
青木と木村は、むしろ宮田の奮闘ぶりを映像におさめて、それをそのまま一歩に見せてやれば決着もつくんじゃなかろうかと思った。それだけ宮田の愛も相当深いのである。
だというのに、宮田と一歩はなかなか通じ合わない間柄だった。互いに気持ちは向き合っているのに、いつまでも平行線で進展しない。もはやじれったいとか甘酸っぱいを通り越して、傍から見てしょっぱい関係だった。
「うし、オレ様にいい考えがある」
鷹村のその言葉に散々煮え湯を飲まされている青木と木村はうんざりした。しかし宮田だけは違ったようで、さりげなく期待をこめて偉大な世界王者を見ている。藁をもつかむ心境の宮田にやめとけ、というのはヤボだった。
鷹村の計画の全貌は、ひらたくいえばおしておしておしたおせ! 勢いのままにがっついていけ! というものだった。みもふたもない作戦に青木と木村は見かねて口を出そうとしたが、残念なことに鷹村は腕力を行使してくるので、二人は押し黙るしかなかった。
宮田は、よっぽど苛立ちがつのっていたのか、二つ返事で了承した。後に引けないところに自分を追い込んで何になるんだとアドバイスする者はいない。ちびちびとのんでいた酒をぐいっとあおって宮田はやる気をあらわにした。ちょっと方向性を間違えていやしないかと思うものの、青木と木村はやはり諦観せざるを得なかった。
「今回ばっかしはオレらはついていかねえからさ、頑張ってこいよ」
「おお、オレもトミ子と祈っといてやるからな、頑張れよ」
珍しく、青木と木村に続いて鷹村もついていかないと言った。鷹村は、
「ただし、後でちゃあんと報告しろよ? わかったな?」
と念をおすだけだったのだ。理不尽大魔王にしてはいやにあっさりとしたものだった。この人こういって後でつけまわすんじゃあ、と木村は思った。青木も同じだったようで、何ともいえない顔をしている。
「わかってますよ」
うまくいったらね、と心の中で宮田は付け加えた。度重なる失敗にさしもの宮田も心に深い傷を負ったらしい。彼も人並みにナーバスになっていた。
「とにかく幸運を祈る」
三人に見送られて、宮田は鷹村の自宅をあとにした。減量に響かないようにと少量しか飲酒していないので、帰り道で千鳥足になることはまずないだろう。ほとんど酔ってもいないので、足取りはしっかりしていた。
肴の宮田がいなくなっても、飲み会は続く。
「にしても鷹村さん、さっきのアレでいいんスかね」
「そうですよ、いくらなんでも真に受けたらエライ事になるんじゃ」
杞憂ですめばいいが、一悶着ありそうな予感にたえかねて青木と木村は進言した。鷹村は、胡座のまま腕を組んでいる。
「そーやってウジウジウジウジやってっからここまで何の進展もねえんだろーが。ようはきっかけがつかめてねえって話だろ。んなモン強引に切り出す以外やるこたあもうねーよ」
むしろなんかあるか? と鷹村は一息で言い切った。じとっとした視線に、木村も青木も口ごもる。たしかに考えうるすべての対策がことごとく通用しなかったのだ。ここはあくまでも正攻法でいくのがいいのかもしれない。しかしそれだってやりすぎればかえってまずい結果を引き起こしかねないだろう。顔に似合わず不器用な宮田には、一歩の機微をよむことは難しい。
下手をうたなければいいけど、と心配そうにしている木村に、鷹村は「まあ失敗したところで面白いからいいけどな!」と笑った。
宮田は、やってしまった! と内心頭を抱える思いだった。というのも、今現在右手で握り締めている携帯で一歩を呼び出してしまった事からきている。
今は深夜1時をまわっているところだ。どう控えめに表現したところで非常識な時間帯に、あろうことか宮田は電話をかけた上、意中の相手を呼び出した。おろかにも電話をかけている最中は絶対の自信があったので「オレが呼び出せばアイツは必ずくる」と思っていた。
実際一歩からは「今から? 大丈夫、どこに行けばいいかな?」という返事が返ってきている。今思えば寝起きの少しかすれた声だった。
現在寒空の下で後悔におそわれている宮田が俯いているのは、釣り船屋幕之内からさほど遠くない公園のベンチだった。夏になると深夜でもちらほらと数組の若い男女を見かけるが、生憎冷え込んできた12月にはそんなデートにしゃれこむ者などいない。宮田にとっては好都合なはずだが、そんな人気のないところへ呼び出す人間を、一歩の母親はどう思うだろうか。そしてこの時間帯。宮田は初っ端からしくじった事に歯噛みした。
「宮田くん? ごめん、待たせちゃったよね」
荒い呼吸をおさえこむような声だった。宮田は自分を呼ぶ声のする方へぱっと顔をあげた。おせえよ、と言いそうになったので一呼吸おいてから返事をした。
「いや、そうでもない。悪かったなこんな時間に」
「ううん! 宮田くんからの電話だもん、嬉しかったよ」
喜色をあらわに話す一歩は、寒くないかと宮田を気遣った後、宮田に促されてベンチに腰掛けた。わりと余裕をもったつくりをしているそれのすみの方へ一歩が座るので、宮田は少し顔をひそめた。
一歩がそんな宮田をうかがうように首をすくめた。宮田はついつい溜め息をつく。白い呼気が静まり返った公園でかすかにゆれる。
「お前、なんでそんな遠くに座るんだよ」
宮田の気に障ったと一歩は思ったようだった。すまなさそうに眉をさげて、ほんの少し間をつめる。そんなふうにオレの機嫌ばかりうかがってんじゃねえよ、とは言えなかった。
宮田はどうきりだしていいか迷っていた。鷹村はおせと言っていたが、具体的な事は一切言わなかった。青木と木村も心配そうにしながら、結局応援するだけにとどめている感がある。
ボクサータイプの宮田の、恋におけるスタイルはインファイトだ。しかしどれもこれも一歩の的を射ない態度ですべて無駄になっている。自分の気持ちに攻撃的な宮田も、さすがに一歩の鈍感さはもてあましていた。
「なあ、この間のこと覚えてるか」
この間のこと? と一歩は繰り返した。小首を傾げて宮田を見ている。
「オレがお前に好きだって言ったこと」
一度終わった話をむしかえすようで居心地が悪かったが、宮田は続けた。一歩はいまだにぼけっとした顔をしていた。
「あれ、嘘じゃねーから」
宮田としては、はっきり意思表示しているつもりだった。正直ここまで言われれば誰だって気がつくだろうと思っている。しかし宮田の常識に反して一歩は相変わらず要領を得ていなかった。
「宮田くんに友達だと思ってもらえるなんて嬉しいなあ」
すっとぼけた返事に、宮田のこめかみがぴくっと引きつった。
「…お前なあ」
なるべく気をつかって言葉を選んでいた宮田だったが、さすがに我慢の限界だった。射抜くような目つきで一歩を見据える。一歩は、ぎろっと睨まれたのでちいさな悲鳴をもらした。
「オレは一度だって友達なんざ思ったことねえよ」
はきすてるような言葉つきだった。途端に一歩が青ざめる。くらがりでもわかるほどの顔色の変化に宮田は舌打ちした。
一歩にしてみれば、宮田は憧れの人だ。欠くことのできない大事な存在だ。宮田がいなければ一歩の世界には色がなくなる。おこがましくもこれは恋をしていると言ってもいいと、一歩は思っていた。
好きすぎてどうにかなってしまいそうなほど、一歩は宮田の事を思っている。もちろんそれはボクサーとしてではなく、れっきとした恋愛感情からくるものだった。
しかしそれは出すぎたものだ。一歩は自分の立場というものをわきまえている。だからこそ、宮田が思わせぶりな態度をしてきてもかたくなに信じようとはしなかったのだ。
宮田の口から、友達ですらないと言い切られた一歩は唇をわななかせた。
胸にこみ上げるものがある。
じわりと視界が滲んできたので、一歩は「あ、だめだ」と思った。このままひとつぶでも涙がこぼれてしまったら宮田に悟られてしまう。
いつものように、なるべく自然に謝ろうと一歩がふるえる唇を開いた時だった。
「友達に、こういうことすんのかよ。お前は」
顔をあげた一歩の目の前に、宮田がいた。ついさっきまでは隣に座っていたというのに、いつの間に席を立っていたのだろうか。相変わらずのフットワークの軽さに一歩は面食らった。
かしずくようにひざまずいた宮田の目は、相変わらず痛いほど一歩ばかりを見据えている。
「あの、どうしたの? 宮田くん?」
宮田は一歩の素朴な疑問にはこたえずに、彼の肩をつかんだ。女性のように美しい顔立ちの宮田は、それでも男だった。骨ばって乾いている指が力強く一歩をおさえこむ。きしむような痛みに一歩が顔をひそめた。
宮田はそんな一歩にかまわず、そのままぐぐっと力を入れていった。じょじょに近づいてくる宮田の表情が切羽詰っていたので、一歩は何も言えなくなった。
ゆっくりと唇が触れ合う。
一歩の肩を力任せに握る手のひらに反して、口付けは本当に触れるだけだった。宮田の長い睫が小刻みにふるえている。強張った体や焦りをみせる気配が似つかわしくなくて、一歩は泣きたくなった。
宮田がそろそろと顔をはなす。
「もういっぺん聞くけど。友達にこういうことすんのかよ」
お前は、と宮田は続けた。一歩は口元を手でおおって頭を左右にふった。
一歩が背をまるめてちぢこまるので、宮田からは一歩のつむじしか見えない。ただ、身体をちいさくさせてふるえている一歩を見ていると不安になった。やりすぎたかもしれない。
「…泣くほど嫌だったのかよ」
デニムにぽたぽたとおちていった涙を見て、宮田がつい口をすべらせた。落胆をかくせない宮田の呟きは、か細かった。
一歩ががばっと顔をあげる。泣き顔は、宮田が思っていたよりもずっと可愛らしかった。
「ち、ちがうよ! ただびっくりして」
「びっくり?」
「宮田くんのこと、好きだったから」
ずっと言っちゃいけないって思ってたんだ、と一歩が口にする。ある意味自分の予想通りの展開に、宮田は胸をなでおろした。
「なんで黙ってたんだよ」
少々怒気を孕んだ宮田の声はするどい。宮田は、両膝の上におかれた一歩の手をすくいあげて握り締めた。なんど触れようとしても逃げていった両手が、自分のものになる。感慨もひとしおだった。
節くれだった武骨な手が愛しい。たしかめるように何度も力をこめる宮田は、一歩の言葉を待っている。
「だって、ボクこんなだから迷惑かなあって」
本当は今でもちょっとそう思ってる一歩は、ひかえめに笑った。
「オレの気持ちを無視するなよ」
「ごめんなさい」
しゅんとうなだれる一歩に、宮田はもういいよとだけ告げた。すっと手をはなしてそのまま立ち上がり、膝についた土埃を簡単にはらう。
宮田は左手をさしだして、一歩に立ち上がることを促した。
「送ってくから。わざわざ出てきてもらって悪かった」
「ううん、あの、ありがとう。あと、よ、よろしくね…?」
宮田は一瞬なにか言いかけて口を閉じた。そのまま黙って先を歩く。一歩は宮田において行かれないようにと、小走りになってその背をおいかけた。
「いやあ、しかし…まあなんというか。やりましたね、宮田のやつ」
鷹村は「やりゃあデキるじゃねえか」とにやついた。品のない顔をちらりと青木が見やって、溜め息をつく。
「おー。なんつーかあれは、少女マンガに出てきそうだったな」
トミ子が好きそうだという青木の一言に、木村は俺もそう思ったよと返した。心なしか両名の表情はかたい。
鷹村は、自販機で購入したあったかい緑茶を上機嫌で飲んでいる。
結局あのあと酒がすすんだ鷹村が、いつもどおりむちゃくちゃを言い始め、青木と木村のなだめる言葉も聞かずに「宮田のことだ、今頃電話しちまってるぜ!」と言い出して部屋を飛び出していったのだ。
さすがに暴君をのばなしにする訳にもいかず、ふたりは顔を見合わせてその後をあわてて追いかけた。
そして寒空の下、ロマンティックな告白シーンの一部始終を見てしまったのである。なまじっか当人達が顔見知り以上なだけに衝撃の度合いは凄まじかった。
「後は宮田からの報告まちだな!」
「ちょ、アンタこの上報告までさせるのかよ!」
さすがに勘弁してやれというニュアンスで青木が突っ込んだ。とことんおちょくられる宮田と一歩が目に浮かぶようだった。
「あったりまえだろーが! このオレ様を手こずらせた手間賃がわりなんだからよ」
やすいモンじゃねえかと鷹村が言ってのける。慈悲のかけらもない物言いに木村は絶句した。
後日、青木と木村が約束を反故にした罪で宮田から制裁を受けるはめになったのは、言うもおろかである。