Short*

Love will find a way! 後編

 恋人に誕生日を祝ってもらうにはいささか早すぎるような気もしないでもない午後3時。少々窮屈だった新幹線をおりて、千堂がまっすぐ向かうのは釣り船屋幕之内だった。
 もう新鮮味もうすれた道すがら、一歩から電話をかけてきた経緯を思い出す。そういえば彼は、母親が用事で家をあけるとかなんとか言ってなかっただろうか。だから大阪へ遊びに、というくだりになったのだが、千堂にとってもはやそこはどうでもいいことだった。
 一歩の母である寛子は、釣り船屋の社長でもある。その彼女が留守にするということは、釣り船自体も出さないということだろう。つまり、仕事はないということだ。そしてそれはそのまま二人きりになれるということをさしている。

 恋人と二人きり。どこか期待感のある響きに、千堂はガラにもなくときめいた。
 女遊びを嗜んでいるとはいえ、まだ若い男である。そもそも焦がれて焦がれて自分から言い寄ったというためしがないだけに、どんなに記憶をさかのぼってもこの学生のような青臭い照れへの対処法は見つからなかった。はやる心臓がどうにも情けない。
 次第に上昇していく体温を持て余して、千堂はちいさく舌を打ち鳴らした。

 熱っぽいため息がこぼれる。
 一歩の実家には呼び鈴がないため、家主を呼び出すにはそのまま扉を軽く叩かなくてはならないのだが、千堂は躊躇した。うっかり力加減をしそこなってぶち割ってしまったら、それこそ恥をしのんで星に相談したことまでおしゃかになってしまうからだ。
「な、なんや妙に緊張してきてまったわ。アカン、ちょお違うこと考えな」
 自分の指先がかすかに震えているのを見て、千堂は深呼吸しながらどうでもいいことを考えはじめた。恩を仇で返すようで悪いが、背に腹はかえられない。
 一歩のかわりに思い浮かべたのは星のことだった。見た目にそぐわぬロマンティックぶりは正直面白かったのだ。状況が状況でなかったら間違いなくおちょくるべきところである。
 ごっつい形して女の前では可愛らしーこと言うたりしてんのやろな。そんな場面を思い浮かべて気を散らす。
 我慢しきれずにふきだしてしまったのは星には黙っておくことにした。

「しっかしまあ、星のヤツ、案外気ィきく男やったっちゅうんが一番驚きやわ」
「星くんがどうかしたんですか?」
 自分の独り言にまさか返事があるとは思わなかった千堂が驚いた。そのままの勢いでがばっと後ろを振り返る。声のした方へ視線をやると、愛犬の散歩の帰りだろう一歩が立っていた。リードにつながれたワンポとともに満面の笑みで出迎えられる。

「思ったよりもはやかったんですね、千堂さん」
 ひょっとして待たせてしまいましたか? とすまなそうに聞いてくる一歩に、千堂は「そーでもないわ。結構タイミング良かったで」とかえした。二人の会話に加わるようにワンポがわん! と一声あげたので、千堂は「なんや元気やなあ自分」と笑いながら頭をなでてやった。
 ふふふと控えめな笑い声があがる。
「なんや? ワイそないおもろいことしてへんよ」
「なんかちょっと可愛くって。ふふ、ごめんなさい」
 立ち話もなんですし、ボクの部屋で待っててください。ワンポの足、ふいてあげないといけないので。
 そう言って玄関の鍵をあけた一歩の後ろに千堂がついていく。ワンポは「ちょっと待っててね」というご主人さまの命令にしたがって大人しく座っていた。ぱたぱたと尾が振られている。

「ほな、先あがっとるで」
 台所から「はーい!」という返事が聞こえてきたのを確認して、千堂は一歩の部屋へと歩をすすめた。何度も訪ねた家なのでまるで自分の家のように把握している。一歩が案内するまでもなく千堂は彼の部屋まで行くことができるのだ。
 これってわりとすごいことなんとちゃうか、と千堂は思った。

 とびらをあけてすぐに目に入るのは本棚だった。何もとりわけ目をひくような変わったものが置いてあるというわけではない。月刊ボクシングファンがずらりとならび、その下の段にはやはりボクシングの試合をとったビデオテープが整頓されている。一般的かどうかはわからないが、プロボクサーとしては普通だろう。千堂にとっても馴染み深い雑誌のラインナップで占めていた。
 いつ来ても一歩の部屋はボクシングで一色である。色気のあるものがないだけで、あとは自分の自室とさほどかわりのない部屋に千堂は親近感を覚えた。わずかに違うといえば、一歩の部屋の方が雑然としていないという点である。
 色んな意味で見慣れた場所に、千堂はほっと一息ついた。羽織っていた薄手のコートを脱いであぐらを組む。適当にまるめたコートを隣において、深く息をはいた。
 他人の部屋で落ち着くことなど今までは一度もなかっただけに、やはりどこかくすぐったいような気もする。

 しかし今日はそれだけではなかった。以前訪れたときはそわそわするようなこともなかったが、今日は違う。一歩に会うことだけが目的ではないのだ。むしろ本題はこれからなのである。
 そう思った瞬間に、やはり胸がざわつきはじめた。全身が心臓になってしまったかのようにばくばくとせわしない。
「…アカン、調子狂うわ」
 つとめて意識しないようにしていても、どうしても振り出しに戻ってしまうのだ。
 好きすぎて手ぇ出せへんて、己はチューガクセイかい! と千堂が自分の頬を両手でぴしゃりと叩く。
 その瞬間、部屋のとびらが開いた。千堂の肩が大げさにはねあがる。
「あ、ごめんなさい。驚かせちゃいました?」
 コップとスナック菓子をのせたおぼんを持って一歩が入ってきたのだ。
「そ、そーでもないわ。き、気にせんでええから」
 はよう座り、と千堂がうながすと、一歩はこくっと頷いて千堂の目の前に腰をおろした。おぼんを少し遠ざけてから一歩が正座するのにあわせて、千堂までもが姿勢を正す。慣れない正座には違和感があったが、千堂は今更崩すのもどうかと思いそのまま座り続けた。

 心なしか、距離が近い。膝と膝がぶつかってしまいそうだった。


 居たたまれない沈黙がはじまる前にとばかりに千堂が口をひらく。
「な、なんやもう…夏の陽気みたいやなあ。大阪もあつうなってきたとこやけど、東京もかわらんな」
「そ、そうですねえ。たまに涼しい日がありますけど、もうあったかくなってきちゃいましたよね」
「夏っちゅうたらアレやな。減量ははかどるけど、ちいと練習するんがキツク感じへん?」
「あついとダレちゃいますよね。ボクもいっつもくたくたになっちゃいます。ロードワークだと風がある日は気持ちいいんですけど、さすがに炎天下になるともう…」
「せやなあ。ワイも商店街ンとこ走っとるんやけど人が多いとかなわんで。風もきいへんし蒸し風呂みたいになってなあ。ガキらもぐだぐだしよる」
 他愛もない会話が不自然に弾んでいくが、やはり焦りがあるのかじょじょに行き詰まっていく。しいんとした静寂を予感させるところまできて、この負の連鎖を断ち切ったのは意外にも一歩の方だった。


「あ! あのですね、その、今日は千堂さん、お誕生日ですよね」
 内心「とうとうきたか」と思った千堂は黙って頷いた。そのまま視線をさげて、一歩の膝の上におかれた手を見つめた。一歩も緊張しているのか、指をひらいたり閉じたりと落ち着かない動きを繰り返している。千堂は千堂で今か今かと機会をうかがう心臓が破裂してしまいそうだった。
 息をひそめて、一歩の言葉を待つ。数秒の沈黙が数時間にも感じられた。
「わざわざ来てもらっちゃってすみません。あの、…こんなことしかできないんですけど」
 そう言った一歩が身じろぐ気配がしたので、千堂ははっとして顔をあげた。タイミングを見計らうあまりに出遅れては元も子もない。肝心なとこしくじってまったか!? と慌てた千堂の目の前に、一歩の顔があった。

 唇に、やわらかい感触。
 千堂が理解するよりもはやく顔をはなしてしまった一歩が、首まで真っ赤にして半ば叫ぶように話しはじめた。
「え、えっとですね! あの、い、一生懸命考えたんですけど、せ、千堂さんのお誕生日、何をあげればいいのかわからなくって…!」
 身体をちいさくするのと声のボリュームをさげるのを同時にしながら一歩が続けた言葉を要約すると、どうやら千堂へのプレゼントを相当悩んでしまったようで、どうしようもなくなってジムの先輩を頼ってみたらしい。しかし結局全員一致の「ンなもんアタシをあ・げ・るでいいんじゃねえの?」という言葉ひとつであしらわれてしまい八方塞になったという。そういう訳にもいかないだろうと思いつつとりあえずプレゼントを用意したものの、恋人同士になってからまったく進展がないことも気になっていたため思い切ってみることにした、とのことだった。
 突然のことに目を見開いたままかたまってしまった千堂を前にして、一歩は泣きそうになりながらなおも続けた。いつも口数の多い千堂が急に黙ってしまったものだから呆れられてしまったと思ったのだ。
「あ、あの、ちゃんとしたプレゼントもありますし、その…千堂さんが嫌だったらいいんです」
 忘れてください、と言って立ち上がった一歩の左手を千堂が反射的につかんだ。加減を考えない力でつかまれて、一歩がか細く声をもらす。
「…嫌なわけあるか!」
 膝立ちのまま千堂が叫んだ。そのままの勢いで一歩の手首をぐっと握りこむ。
 一歩からあがったちいさな悲鳴にはっとして千堂が指先をゆるめたが、逃がさないとでも言うように彼の右手は依然として一歩を捕まえたままだった。
 一歩がおずおずと腰を下ろす。

「なんちゅーかその、嫌なわけやのうて。その…ホンマにええの? ワイに何されるんか、幕之内は、わかっとって言うてる?」
 どちらのものともわからない、唾を飲み込む音が千堂の鼓膜をやけに大きくふるわせた。
 千堂が一歩の手首から指をはずすと、かすかに赤くなったそこを撫でながら一歩がちいさく頷いた。了承が返される。
 その恥らう仕種にかっとなって、千堂が一歩を引き寄せた。肩をぐっとつかんでぶつかるように抱きしめる。骨が軋むほどに力強く腕をまわす千堂に、彼の胸でおしつぶされた一歩がぐいぐいと頬をよせた。「千堂さぁん」というくぐもった声が千堂の耳に届く。なんや? とでも言いた気に千堂がふっと力を抜いたので、今度は一歩からしがみつくようにして抱き返した。一歩からは見えないが、千堂の顔もさあっと赤らんだ。

「お誕生日、おめでとうございます」


[ end ]



掲載日2011年05月05日 Lots of love for your birthday!