SITTING DUCK
「木村さんって学生時代モテたでしょ」
板垣は、いつものように得意げな顔でにいっと笑ってみせた。不敵で、なんとも好戦的な表情だった。
そのまま鼻歌でも歌いそうな上機嫌ぶりで、Mサイズのコーラを手に取る。その動作のそこかしこに遊びが含まれているが、木村に「油断ならないヤツだ」と感じさせるには十分だった。
丸テーブルの先、木村の正面に板垣は座っている。目線は同じぐらいのはずだ。むしろ木村の方が若干高いくらいだろう。それでもなぜか品定めされるような、上からの態度に感じた。
考えすぎか、的中か。気をぬくと顔を出す卑屈さに苦笑して、木村は不自然にならないように視線をそらした。板垣の視線は木村に投げかけたまま動かず、わずかにそっぽを向いた木村の頬を見続けている。
カウンターではしゃいで、迷わずにコーラを注文する板垣を木村は「ははーん。まだまだお子サマって感じかね」と年上ぶって見ていたのだが、この意味深なやりとりを考えるとやはり食えない男だったと認識をあらたにせざるをえなかった。
板垣の言葉を「ま、そうでもねえよ」とさらりとかえした木村はトレーの上にあるフライドポテトへ手をのばした。
ふたりの間のわずかな沈黙も、周囲の喧騒ですっかりなかったことになる。しゃべらなくていい雰囲気に木村は安堵した。
そういえば、二人っきりってのははじめてか。
久しぶりのファーストフード店に足を踏み入れた際、木村はそんなことを考えた。同じ後輩でも一歩のときはちょくちょく連れまわしていたということもあってか、別段そんなことを思うことはなかった。それは山田直道のときも同じで、ゲロ道なんて呼んではいたものの木村を含めてジムの面々は彼のこともかわいがっていたのだ。少々やりすぎたこともままあったが、一歩も直道もそれなりに喜んでいたようで、懲りずにひっかかるところがまた面白かった。
どことなくあのおどおどとした感じがそういうのを誘発するんだよな、とは木村の言である。
しかし板垣のときはと言うと勝手が違うように思われた。彼自身がそつのない器用なタイプだということと、学生生活でそれなりに揉まれた経験があるからか、たいした被害は受けていないはずだ。季節はずれの転校生のように、鴨川ジムでは新規の練習生は必ず鷹村の餌食になるものだが、板垣はそうはならなかった。木村や青木が舌を巻くほどあざやかな手並みでうまく肩透かしを食らわせて、非常にあっさりと回避してみせる。これには一歩も素直に感動していた。すごい! なんて興奮して、感心していたのを木村は覚えている。
一歩は懐かれているということもあり、板垣のことをすっかり気に入ってる様子だ。はじめてできた後輩だった直道がいなくなり、ようやく入った新人ということもある。嬉しくてはしゃいでいるのは見ただけでわかることだった。
一方木村の見立てではあるが、鷹村は板垣のことを持て余しているようだった。あの手のタイプは板垣のように表裏を使い分ける相手からは距離をとる。警戒しているとも言えるだろうか。
人のいい青木はそのあたりをそこそこ気にかけている素振りを見せているが、今のところ木村は諦観を貫く気でいる。正直な話、下手に口を出すのは自殺行為だという予感があるのだ。
いつだったか、鷹村が引き起こした厄介ごとからまたもスマートに逃げ遂せた板垣に対して、その器用さをすこしでいいからオレらに分けてくれよと言ったのは青木だった。間の悪い一歩やこりない青木はいつも被害を被っているからだ。
板垣はたしか、建前上困ったような顔をして「そんなことないですよ」と笑っていた。その妙に板についたつくり笑いがどうにも自分を見ているようで、木村は板垣のことを苦手だなと感じたのだ。その感覚は、鷹村だけでなく木村が板垣から距離をおく理由のひとつかもしれなかった。
ピカイチの才能と、巧みな処世術。
恵まれた人間の話を聞くと、木村は真っ先に板垣の顔を思い出すようになった。
「そういえば、木村さんと出かけるのってはじめてですよねえ」
板垣の言葉に木村の指先がぴくりと反応する。木村の視線が自分をとらえたのを確認して、板垣はまたにっこりと笑みを浮かべた。人好きする顔だった。
木村が「まあな」とだけ返事をすると、板垣はさきほどの木村と同じようにあげたてのポテトをぱくついた。
「前に青木さんとデートしたことがあるんですけど、木村さんは人見知りだって聞いたんですよ」
本当だったんですねえと続けた板垣は、やはりうっすらとした笑みを崩さない。そしてすこし茶化すようなニュアンスを含ませてきた。
普段よりもややとげとげしい板垣に木村はむっとしたものの、コーヒーを飲むことでごまかした。デートなんて言葉をわざわざ口にして軽く出方を伺うあたり、板垣の方が木村よりも一枚上手に感じられて腹が立ったのだ。
そもそも自分相手にかわいい男の子を演じられてもなと木村は鼻をならす。
その場を何とかやりすごして「あんにゃろうはまーた余計なこと言いやがって」と青木に毒づいた。明日にでもとっちめてやろうと心に決める。
ホットコーヒーを片手に、肩をすくめて木村が口を開く。
「ま、アイツよかオレの方が繊細だからよ? 相手がどんなヤツかもわからんうちに、そうそう仲良くなんてできないもんだろ」
少々皮肉った言い方に、板垣があははと笑い声をあげた。無邪気な顔は年相応だった。
ひとしきり笑ったあと、板垣は目じりを人差し指で拭った。
「絶対自分で思ってるよりも木村さんって大胆不敵な人ですよ」
大胆不敵という言葉に木村は思わず苦笑する。オレほど用心深い男はそうそういねーよと思いつつ「おいおい。おまえに言われたかないっての」とおどけてみせる。
それもそうですねと言いながら、板垣がストローをくわえる。見たまま、まさに可愛らしい年下の男の子といった仕草だった。年嵩のオンナが放っておかないタイプだなと木村は思った。
そしてそのままそれを声に出してやった。
「おまえこそモテたろ。大学からのおっかけじゃないのか? カノジョ」
思い当たる節があったのか、板垣は今日はじめてポーカーフェイスを崩した。
眉間をよせて、言葉をさがしているらしい板垣の顔はあからさまに「しまった」という表情になっている。
今更ごまかしもきかないと腹をくくったのか、板垣は困り顔のまま話し出した。
「あっちゃー。見ちゃいました? ちょっと恥ずかしいなァ。アレ、ボクの元カノなんです」
正確に言えばセフレってやつなんですけど。
わざとらしく、そしてこともなげにさらっと続けた板垣に木村はすこし慌てて、ついで呆れた。
人が大勢いる店内、白昼堂々口にしていいようなことでもない。
「おまえね。そういうのはもっとオブラートにつつみなさいよ」
「いやあ、べつに女の子も先輩もいないし、大丈夫かなと」
木村の小言にも悪びれず、たいした問題でもないように板垣は言ってのけた。木村は「先輩」という言葉に引っかかったものの、すぐに合点がいった。
いまだに中学生のようなお子サマ恋愛観を持っている一歩のことだ。青木とトミ子のノロケですら卒倒しかねないというのに、セフレがどうのなんて話しをいきなりふられては刺激が強すぎるだろう。
ハンバーガーの包みを丸めて、木村はため息まじりに会話を再開させた。
「ずいぶんとまあ、先輩思いな後輩だこと」
「だってあこがれのひとですから。先輩に嫌われちゃったらボク、生きていけないですもん」
冗談とも本気ともつかない板垣に、木村は面倒なやつめと舌を吐いた。
「そこで相談なんですけど、どうすれば諦めてくれますかね?」
諦めて、とはずいぶんな言い回しだ。抱いたのは一度や二度ではきかないだろうに、板垣の言い方は徹底していた。そこに不愉快さを禁じえない木村は、
「特定のカノジョでもつくりゃいーんじゃねえの」
とかなり投げやりな回答をした。木村自身女性関係ではいくつかのトラブルを経験したことがあるし、褒められたものではないのだがそのどれもがそれなりに情と言うものがあってのことだった。
すくなくとも自分に好意をもっている女性に対して、手を出したにも関わらず迷惑がる男とは一緒くたにされたくないという気持ちがある。
そのあたりを感じ取ったらしい板垣は、気にする素振りを見せなかった。
「すっごく気になる人はいるんですけどねえ。これがなかなかうまくいかないと言いますか、前途多難なんですよ」
小首をかたげた板垣に、木村は興味なさそうに相づちをうつ。
「恋愛で本気になったことなんてなかったんですけど。ほら、よく芸能人とかで言うじゃないですか。電撃結婚とかのとき、この人だって思ったって」
ボク、はじめてそーいうの感じちゃったんですよ。
目の色の変わった板垣にぎょっとした木村が、一瞬息をのんだ。物分りのいい後輩という仮面の下にはケダモノがいる。まぎれもない男としての性を垣間見てしまったからだった。
板垣は何事もなかったかのように目を細め、木村の言葉を待っている。手薬煉引いて、と付け加えてもよかったかもしれない。一癖も二癖もある笑い方だった。
一拍置いて、木村が打開策を示す。そんなに好きだったらその子をおとせばまるくおさまるだろ、という木村の言葉に板垣の目がもう一度ぎらついた。
「いいんですか」
唐突な確認に木村が困惑の色をうかべると、板垣はちいさな子供に言い聞かすようにもう一度くりかえした。
「いいんですかって…おまえ」
呆気にとられた木村を板垣の目が射抜く。凍てつくような視線の鋭さに容赦はなかった。まるで親の敵でも見るように、板垣は木村から目をそらさない。
今度は木村がはっとさせられる番だった。
咄嗟のことに木村の頭をよぎったのは、板垣とは別の後輩だ。
いつだったか普段にましてまぶしく感じたときの、あの夕日を背にした姿が脳裏に蘇る。声をかけることをためらって、振り返えってくれるまで待った人物は、木村よりも背の低いシルエットだ。華奢な肩がふるえていた。他のことで落ち込んでいた様子に、色恋なんて微塵も介在していないというのに、木村は胸を焦がした。自分のことだったら良かったのにと、思いつめさせた男の方に嫉妬した。
色鮮やかな記憶は、その細部まで木村に刻み込んでいる。
だがそれを、誰にも告げたことはなかった。
焦りを隠しきれない木村が、苛立ちまじりに板垣にくってかかる。いつからだよ、と呟いた木村は苦虫を噛み潰したようだった。
途端板垣が破顔する。
「やっぱり、木村さんもだったんですね」
あーあ、面倒なことになっちゃいましたねと板垣がいたずらっぽく続けた。さきほどまでの険悪さが嘘のような態度は、木村にしてみればむしろ薄気味悪く感じられた。
いぶかしむ木村を見て、板垣が笑みをふかくする。
「鎌をかけてみただけですよ。意趣返しってやつです」
意趣返しと聞いた木村が目を瞠った。先ほどの仕返しにしてはずいぶんと大げさだろうに、板垣の口ぶりでは五分五分のような扱われ方だ。
「…あーもう、マジでか。墓穴掘っちまったじゃねーか」
観念した木村の恨みがましい視線を受け流して、板垣はさもしてやったりという顔をした。
「いやあ、ボクも本当にそうだなんて思ってなかったので」
不可抗力ですよときっぱり言い放つ板垣は、木村を出し抜いたことで溜飲を下げたらしい。痛む頭を抱えつつ、木村が席を立つ。トレーの上にはもう空の包装紙しかのっていない。
「まったく食えない男だよ、おまえは本当」
己を睥睨する木村に対し、板垣はあくまでも余裕の笑みを浮かべただけだった。