Web拍手01 鷹村さんと一歩くんとワンポ 2011年1月1日〜2011年2月4日
おらあ! と豪快な掛け声をあげた鷹村が愛犬を持ち上げるのを見て、一歩は「ほどほどにしてあげてくださいよお」と声をかけた。動物好きな鷹村の犬の構い方はムツゴロウさんもかくやというほどスキンシップが激しい。加えて言うならば人並みはずれた腕力の持ち主でもあるので、いかに大型犬種といえども振り回され続けていればワンポの方が疲れてしまうのだ。事実鷹村にがっちり抱きかかえられているワンポはぐったりとしている。
「ほらあんまり構うから」
前足をだらりと投げ出すようにしているワンポにはすでに抵抗の意思はない。動物あるまじき姿を露呈させてしまっている愛犬を心配して、一歩が小言をこぼすように口をひらいた。非難めいた言い様に、わずかに鷹村はたじろいだ。
しかしすぐさまこめかみに青筋をたてて鷹村がうなる。
「ンだよ、オレ様が悪ィってのかよ」
「そ、そんなこと言ってないですよ。ただもうちょっと優しくしてあげて欲しいだけで」
犬歯をむき出しにしてくってかかってきそうな鷹村に、一歩は両手をぶんぶんと振って否定した。日本チャンピオンという肩書きも形無しな腰の低さに、鷹村がはなをならす。
「じゃあどういう意味だってンだよ」
「あのですね、その…。えっと。あ! ほ、ほら! こうやって撫でてあげればいいんですよ」
苦し紛れに一歩は何を思ったのか、中腰でワンポを抱きしめている鷹村の頬に手をのばした。いきなりの行動にぎょっとした鷹村がぴたりと動きをとめる。
一歩の指先は優しく鷹村の顎の下をくすぐるように触れてきた。冷えた指先が頬の体温を奪い、首まわりの熱もさらっていく。爪の先がわずかに皮膚の上を走っていくのを、鷹村はやけにはっきりと感じ取った。
「こんな感じで、ちょっと強めにさわると喜ぶんです。ワンポ」
にこにことしながら、このあたりもくすぐってあげると嬉しそうにするんですよと一歩が続ける。依然として一歩の両手は鷹村の顔やら首やらに触れていた。
「…テメーこの状況に何か思うことはねえのか」
大型犬を抱っこした大柄な男をあやすように撫でる童顔の青年。傍からどう見られるかと問われれば、確実にソッチ系の男性二人組みとしか思えないに違いない。
ロードワークでつかっている道に人通りは少ない。しかしまったく人目につかないというわけではないので、ちらほらとまばらな視線にさらされるはめになる。鷹村は頭を抱えた。一歩に指摘したところでぴんとこないだろうと知っているからだ。案の定一歩はといえば「え? 何か変ですか?」と大きな目をまるくさせている。
「あー、もういい。もうお前喋ンな。ンで明日のオレ様のスパーはお前に決定だ!」
「え、えええ!? ちょ、ちょっと待ってくださいよ鷹村さんッ!」
そんな理不尽な! とわめく一歩の頭に鷹村は右の拳を落として黙らせた。左腕にがっちりホールドされているワンポが心配そうにワンと一声あげる。頭をおさえてしゃがみこむ一歩に一瞥くれた鷹村は、ぱっとワンポを解放した。うーとうなっている一歩の首根っこを猫の子を持ち上げるようにしてつかみあげる。
「いつまでもヘタってんじゃねえよ、タコ! はやく帰るぞ!」
「もう! 乱暴にしないでくださいよお!」
ワンポを放り出したことか、それとも自分への狼藉に対してか一歩が叫んだ。聞く耳持たない鷹村は、ぶつぶつと文句を言う一歩をブンと投げ捨ててそのまま走り出した。どさっとしりもちをついた一歩が「いたっ!」と声をもらす。
猛ダッシュでぶっちぎる鷹村の背に、一歩の声がとぶ。
「新年早々になんてことするんですかあ!」
待ってくださいよもう! という叫び声に、鷹村がくるりと振り返る。
「バッカ野郎! お前といちゃあ誤解されンじゃねーかよ!」
オレ様はホモはお断りだ! とあかんべえをしてみせる鷹村に、「何なんですかまったく!」と腹を立てた一歩が追いかける。騒がしい早朝ロードで迎えた新年は、例年同様であるらしい。
Web拍手02 菜々子ちゃんと久美さん 2011年1月4日〜2011年2月4日
「ちょっと待たせちゃった?」
少し息をはずませた久美が、椅子の背もたれに手をかけながら言った。菜々子は「そうでもないです」とだけ返す。二人ともわずかに困り顔なのは、まさか恋敵とこうして食事をするはめになるとは思っていなかったからだ。
「そういえばどうですか? お兄さんの方は」
「今は試合も決まってないから機嫌がいい日が多いかな。板垣くんは?」
「うちのお兄ちゃんは相変わらずです」
本題には触れずに、他愛もない話題でやり過ごす。丁度お昼時なので手軽なファミレスはすぐに騒がしくなった。久美も菜々子もメニューを見ずに手っ取り早く日替わりランチを頼んだ。
店員がフリードリンクの説明をして、帰っていく。
「あ。何飲む? 一緒に持ってきちゃうから」
「すみません。じゃあメロンソーダで」
「なかったら?」
カルピスがいいです、と答えた菜々子に返事を返した久美がフリードリンク用のコップを持って席をたつ。
看護士として患者を相手にしている久美は、プライベートでも非常に気の利く女性だ。菜々子は、やっぱり年上の人なんだなあと思いながら久美の背を見つめた。
「そーなんですよう。もう本当にひどかったんですから!」
ストローで氷を弄びながら菜々子が興奮しながら言った。よほど腹にすえかねていたのか、久美の方へ身をのりだして話すので、久美は「お、落ち着いて菜々子ちゃん」とひかえめに制した。
「落ち着いてなんていられないですよお。だって幕之内さんに最初に話しかけたのも、約束をとりつけようとしたのも私なんですよ!? それを鷹村さんが横からとっちゃうんだもん、頭にきますよお」
菜々子が言うには、今日の予定は一歩とのデートだったらしい。抜け駆けしようとしたわこの子、と久美は目をつりあげたがそれも一瞬だった。
菜々子はしきりに鷹村のことを横暴だとか傲慢だとか、知っている単語をひたすら並び立てて罵っていた。要所要所で相槌を打ちながら、話題の人物を思い出してみる。
鷹村守。鴨川ジム所属のボクサー。二階級制覇の世界王者。久美が知っている彼の肩書きはこんなところだった。さらに付け加えるなら女好きという特徴ぐらいだろうか。
はじめて会った時は大柄な人という印象だった。一歩が退院した後の合コンで喋ってみてわかったことは、彼を自分の飼い犬のように扱うことだった。鷹村いわく、幕之内一歩とは「オレ様が拾ってやった」らしい。久美は一歩のことを好いていたので、鷹村のそういう言い方を良くは思わなかった。しかし当人は別のようで、困惑しながらもどこか嬉しそうにしていた。一歩自身すら、鷹村の扱いをひどいと言いながらも受け入れている面があるので久美からは何も言えない。
「久美さんだって鷹村このやろう! って思うときあったんじゃないですか」
「そうねえ…」
菜々子は決め付けるような口調だった。ないわけがないでしょうというニュアンスが多分に含まれている。
久美はストローから唇をはなして、ため息のような肯定をした。コップを握る指先に、力が入った。
「まだ菜々子ちゃんと会う前にね。二人で、水族館に行ったりとか運動公園に出かけたりした事があったんだけど。木村さんや青木さんを連れてこそこそつけ回してくるし、それでも最初は隠れてついてきてるみたいだしまあ良いかな? とか思ってたんだけど」
久美が淡々と話し出す。菜々子は息をひそめて聞いていた。ゆったりとした話し方に妙な迫力がある。
「いつでもどこに行ってもだいたいいてね。それもふつうに待ち合わせの場所で幕之内さんの隣に。もう何ていうか正直なところ邪魔じゃない? だからそれとなく言ってみたことがあって。青木さんたちも協力してくれたんだけどダメだったのよね」
「やっぱり! でも久美さんって意外と大胆なんですねえ。直接言うタイプじゃないと思ってました」
「さすがにね…。デートの邪魔はされる、電話をかければ鷹村さんがでる、直接幕之内さんに会いに行けば必ずいるってなれば言いたくもなるわ」
たしかに、と菜々子が呟いた。でもねと久美が続ける。
「問題はそこじゃないことに気がついたの。鷹村さんって拒絶されるとそれ以上踏み込めないところあるじゃない?」
「ゴリラのくせに変なところでナイーブですもんね。ほんとにメンドーな人ってああいうのだと思う」
遠慮のない菜々子の指摘に久美はでも笑い事じゃすまされないのよねと苦笑した。
「問題はね、幕之内さんなの」
「えー。一歩さん?」
「そう。だって幕之内さんが全部許しちゃうんだもの。呼び出されればすぐに行っちゃうし」
「…デート中にですか?」
菜々子がおそるおそる聞いてみた。久美が黙って頷くので、さすがにそれはダメなんじゃと菜々子は嘆いた。おおらかで優しい一歩が好きな菜々子としても、ちょっといただけない。そもそもデートじゃなくて三人でお出かけというスタイルではないか。
菜々子は鷹村と一歩の間に入れずに、後ろからついていく久美を想像した。自分だったらとても耐えられそうにない。
「それで何度か言い合いになったこともあって。言い合いって言っても幕之内さんはあの調子だから私が一方的に怒っちゃうってだけなんだけど」
「それは仕方ないですよお! だって女の子といる時は女の子を優先しますよ、ふつうは」
「でも幕之内さんのふつうは、鷹村さんなの。やめてもらえませんかって言ってみたら、えって顔で驚いてたし…。幕之内さんにとって、鷹村さんに構われるのがふつうだから…私の言ってること、少しもわからないんだと思う」
菜々子は少し考える素振りを見せたあと、何やらひらめいたのか自信あり気に口をひらいた。
「じゃあ宮田さんにお願いしてみませんか? あの人ツンケンしてるけど、お兄ちゃんに頼めば何とかコンタクトとれると思うし。さすがにあこがれてる人に指摘されたら変わるんじゃ」
ないですか、という菜々子の言葉を久美がさえぎった。
「それじゃあ鷹村さんが宮田さんにかわるだけよ。基本的に幕之内さん、ぐいぐい引っ張るオレサマに弱いから」
菜々子は一瞬、なんで私たちって一歩さんが好きなんだろうと考えてしまった。それは久美にも伝わったようで、彼女の目も「どうしてだろうね」と言っていた。
Web拍手03 宮田くんと一歩くん 2011年1月6日〜2011年2月4日
追いかけてくる一歩に、宮田は舌打ちした。また厄介なやつにあっちまったぜと言わんばかりに眉間に皺をよせて、秀麗な顔をこれでもかと歪める。ちらっと振り返ったときには米粒並にちいさなシルエットだったというのに、一歩はあっという間に距離を縮めて宮田を追い上げていた。わざわざペースをあげてふりきるような真似はしないが、付きまとわれるのは正直面倒だった。
「み、宮田くんっ。久しぶりだね!」
宮田くんはやいから見失っちゃうかと思ったよと言いながら、一歩は宮田の横へぴたりとはりついた。声がはずんでいるのは息が荒いからではない。
嫌味かと宮田は思った。一歩はさして汗ばむことなく自分のペースについてきている。
「宮田くん、いつもここを走ってるの?」
「お前はどーしたんだよ」
宮田は一歩の質問には答えなかった。一歩も慣れているのか特に気にしている素振りは見せない。宮田の視線は、鴨川ジムのロードコースじゃないだろ? と一歩にきいている。
「今日はたまたま用事があって、その帰りだったんだ。そのままジムによるつもりでよかったよ。ウェアとシューズじゃなかったらさすがに宮田くんのところまで走れなかっただろうし」
宮田くんに会えるなんて今日は運がいいみたい。何かやる気でちゃうなあ。
そんなことを一歩が続けるので、宮田は口をつぐんだ。宮田がひとつのことを言うたびに、一歩はみっつもよっつも喋る。あきもせずにオレの名前ばっかりかと宮田は辟易した。一歩と話していると、もう少し骨っぽく平たく言えば男っぽくなれないもんかねと宮田は思うのだ。曲がりなりにも自分のライバルなだけに、のほほんと会話を楽しむなんて真似はできなかった。
しかし互いの認識の違いというものがあるようで、どうも一歩の考えるライバルとは昔の少年マンガのようなノリに近いらしい。その上でどこか宮田に少女マンガの王子様を夢見ているというのが厄介だった。
「それでね、木村さんと青木さんがそんなふうに言うから鷹村さんすねちゃって…」
「お前さ、そんなに口動かして疲れねえ? ちょっと黙ってろよ」
鴨川ジムでの内輪ネタを事細かに説明する一歩に、宮田が言った。元同門だけに鷹村の理不尽さも青木や木村のワルノリもだいたい想像がつく。たまに宮田も標的にされていたので、彼らの手口はよく知っていた。さすがに新しく入った板垣という後輩や、練習生については宮田が出て行った後なのでわからないが、一歩の口ぶりから察するにジム内の雰囲気にこれといった影響はないのだろう。相変わらず一歩が鷹村のオモチャであることに変わりはない。
一歩が消え入りそうな声で「ごめんね」というので、宮田はようやく分かったかと思った。しかし先ほどまで視界のはしでぴょこぴょこと飛び跳ねているのが見えた一歩の髪が見えなくなっていた。そういえば足音も聞こえない。
いぶかしんだ宮田は、視線だけで隣を見やった。誰もいない。わずかに目を見張った宮田は、今度は身体ごと振り返るようにして後ろを見た。十数歩ほどさがった位置で俯きながらついてくる一歩が目に入る。
10の距離を0にすることを得意とする一歩は、インファイターだけあって極端な性格をしている。宮田は黙れとは言ったが、離れろと言ったおぼえはない。
ひときわ長いため息をついてから、宮田は地を蹴る足をとめた。先を行く宮田が走るのをやめたので、目に見えて落ち込んでいることがわかる一歩が顔をあげた。二十歳を超えた男には到底見えないような情けない表情だった。
「おい。あんまり遅いとおいてくぜ」
「あ! ま、待ってよ。おいてかないで」
慌てて小走りになる一歩から目をそらして、宮田は足を踏み出した。一歩の頼りなげな瞳は黒めがちで、子犬に似ている。不安そうな顔をされると動物をいじめているような気がして、いたたまれなかった。
不本意ながらも宮田が相手をしてやっているのには、そういう理由がある。鴨川ジムの面子には口が裂けても言えない事実だった。
Web拍手04 KAMOGAWA men's 2011年2月4日〜2011年3月22日
「こォんのヤロー! しぶとくねばってんじゃねえ!」
ロードワークを終えた青木がジムの扉に指をかけた瞬間、開けっ放しの窓から男の怒鳴り声が聞こえてきた。思わぬところで大声の不意打ちを食らった青木と木村の両名が何事かと中へ入ると、馬鹿でかい声で鷹村ががなり立てていた。
出入り口に背を向けている鷹村の向こう側には、どうやら今日の被害者がいるらしい。帰ってきたばかりの青木には、鷹村の体躯に隠れているせいか、ちらりとも見えなかった。
てめえいいかげんにしやがれ! というどすの利いた声がジム内にびりびりと響きわたる。
青木の後ろに続く木村が、半笑いをうかべながら目があった練習生に声をかけた。
遠慮がちに口を開いた練習生の話によると、現在理不尽大王相手に何とか食い下がって防衛している人物は幕之内一歩だという。
木村が面白がって口笛を吹いた。ぴいっという音が「やめてくださいよォ!」という一歩の台詞でかき消された。
青木は木村が呼び止めた練習生に説明を促した。
「なんか、幕之内さん。いつもと違ってたんスよ」
「へえ。一歩のやつがねえ…。なんかあったのか?」
木村の言葉に、練習生が軽く顔をふった。
「いやあ、オレらにはわかんないんスけど。でも何か変だったっていうか」
変? と二人が声をあわせてたずねる。
「ハイ。なんかずっとうつむいてたんスよ。でも調子が悪いってわけでもなかったんで」
「メニューこなしてっ時もか?」
青木の言葉に頷いた練習生が「休憩中もなんスよ」と付け加えた。
つまり、そういった一歩の様子をいぶかしんだ鷹村が強引なちょっかいをかけて今に至るということらしい。
力任せに壁に押しつけられた一歩は、背中に感じた衝撃に顔を顰めつつも歯を食いしばって鷹村に逆らった。ぎりぎりと奥歯を噛みしめて、両腕に力をこめる。引き剥がそうと躍起になっている鷹村は、青筋を立てて牙を剥いた。
ただの小競り合いといっても、やっている人間はただものではない。一般人同士ならたいして見所もないが、さすがに二階級制覇の世界チャンピオンと連続防衛記録を保持している日本チャンピオンだけはある。試合さながらの迫力に、うっかり見入ってしまった練習生たちの手がとまっていた。
階級差という不利がありながらも善戦している一歩に、遠巻きに見物をはじめた青木が声援を送った。木村も同じように囃し立てる。
「ひ、ひとごとだと思って…! 見てないで助けてくださいよお! もう!」
両手で額と眉を覆っている一歩に対し、鷹村は一歩の手首をがっちりとつかまえている。こういった場合での力比べは攻める方が守りに徹している方よりもはるかに楽なこともあり、鷹村が余裕の表情を見せた。
時間が経過すればするほど、苦しくなるのは防戦を強いられている一歩の方である。
「さて、と。一歩くうん。覚悟は出来てるのかなあ? んー?」
「っう…! い、嫌だって言ってるのにぃ…!」
あきらかな限界が近づいている証拠に、一歩の腕はぶるぶると小刻みにふるえていた。散々抵抗した後のため、鷹村の温情は先ず期待できない。完全に面白がっている先輩二人の無責任な応援に、一歩は涙目になった。
結果的になす術もなく両手を引き剥がされた一歩は、最後の抵抗とばかりに鷹村から顔をそらした。不服の意思表示としてはいささか幼稚なアピールである。
鷹村は一瞬目を見開いた。ついで一歩の態度にもう一度唸り声をあげた。
「てめえ! この期に及んでまーだ逆らおうってのか!」
ぷいっと横をむいた一歩に対し、気を悪くした鷹村がつかんだままの手首をそのまま上に持ち上げた。予想もしてなかった鷹村の行動に、一歩が叫び声をあげた。いきなりのことに驚いて、そむけた顔まで鷹村の方へと戻してしまう。
その途端に鷹村がぶはっとふきだした。思ったとおりの反応に一歩が「うー」と小さく唸る。
「青木ィ! 木村ァ! ちょっと来てみろよ! 一歩のやつ、おもしれえことになってんぜ!」
哄笑する鷹村に指名された二人がにやついた笑みを引っさげて鷹村の背後から一歩の顔をのぞきこんだ。
しっかりとした太目の眉が、イマドキの若者のように細く整えられている。元々生えていた眉毛でラインをつくったのか、眉自体はなかなかの出来栄えを見せていた。正直悪くないかたちである。
しかし一歩の幼い顔立ちとあわせると、色気づきはじめた男子中学生にしか見えなかった。もうとうに二十歳をこえているというのに、背伸びをした子供にしか見えない。
青木と木村が互いに顔を見合わせて、もう一度一歩に視線をやった。ついでくるりと背をむけて二人が勢いよく笑い出す。
「こ、こうなるから嫌だったんですよお…」
「わ、悪ぃ。ちょ、な、なんでそんなんになってんのよお前」
相当つぼだったと見える木村が腹を抱えながら落胆している一歩に声をかけた。経緯を知りたいらしい三人が唇の端をひくつかせながら一歩の言葉を待つ。愉快なおもちゃあつかいをしてくる三人を、一歩はじとっとした目で見やった。
「…学くんがやってくれたんですよ。イメチェンしてみたらどうかって」
「なんつーおもしれえこと考えンだよあいつ! だ、ダメだ…腹いてえよマジで!」
不満気にぽつぽつと話した一歩に青木がしゃがみこんだ。身体をゆらして大笑いする青木に、一歩が眉間に皺をよせる。その表情に、しばらく落ち着いていた鷹村までもが笑いはじめた。連鎖反応でもおこしたかのように、木村の笑い声も一段と大きくなる。
「もうっ! そんなに笑わないでくださいよ!」
「そんな怒ンなよ一歩ォ。わ、割とよお。に、似合ってンぜ」
「そーそー。結構可愛いって。なあ青木」
オレにふるなよ。もうやべえって腹いてーんだからよォ! と青木が叫んだ。ぎゃあぎゃあ笑いまくる三人に、一歩は「もう絶対学くんに流されないようにしよう」と決意を新たにした。
Web拍手05 板垣さんちのかていの事情 2011年3月22日〜2011年7月30日
「そりゃあ菜々子が先輩とお付き合いしたいって気持ちは知ってるけどさ」
板垣が、だからってお兄ちゃんを巻き込むのはやめておくれよ、というニュアンスで口をひらくのはいつものことだった。ついでに言えば、今はそのあいた口にスナック菓子を放り込んでいる。
菜々子の兄・板垣学は、妹の目から見てもはっきり言って美形だ。小顔で目鼻立ちもすっきりとしていて、均整のとれたパーツがこれまたうまい具合に配置されている。ようするに、そんじょそこらの女の子やアイドルなんて顔負けのルックスをしている、ということである。当然異性にモテる。しかしその「世間からみてカッコイイ人」がお菓子をつまんだ指でさわらないように注意しながら、リモコンを片手に寝そべってテレビを見ている姿は、正直「女の子が夢見る素敵な王子様」からは除外されているだろう。
そのだらしない姿をファンの女の子たちにも見せてやりたい。絶対幻滅するから! と菜々子は思った。目の前の板垣からは、二言目には「めんどー」とか「だるいー」などという言葉を口にしそうな雰囲気すらただよっているのだ。
緊張感のかけらも持ち合わせていない様子の兄は、いくら菜々子が話しかけても対応がおざなりだった。
「それでね、今度の日曜日なんだけどお。お兄ちゃんは久美さん誘ってどっか行ってきてよー」
「えー。何でまた急に」
目に見えていやそうな顔をした板垣がきく。声もこころなしか気乗りしないものだった。
口をとじてから頬をもごもごと動かしているのは、菜々子との会話の最中にもお菓子を食べているからである。私がやるといっつも行儀悪いとか言うくせに! と菜々子がむくれた。板垣は菜々子が苛立ったのを感じ取ったのか、つまんだお菓子を妹の口にもひょいっと放り入れてやった。ありがと、どーいたしまして、という短いやりとりがかわされる。
むかしから菜々子は大人に要領のいい子供だと言われてきた。しかしこの兄ほどではないなあと今更ながらに確信してしまった。血はあらそえないとはよく言ったものである。
「おやつなんかじゃごまかされないんだからね! それに急じゃないですー。前から何回も言ってるもん! お兄ちゃんが聞いてなかっただけ!」
「ええー。そうだった? って菜々子ぉ、お兄ちゃんの予定はムシですか」
「ムシなんてしてないー! ちゃあんとお兄ちゃんがヒマしてるって知ってるんだからね!」
あかんべーと舌を出したかと思うと、胸をはり、菜々子はふふんと得意げに笑った。ころころとかわる表情には愛嬌がある。自分と似たような顔をしている妹の自慢げな表情を瞼の裏に描いて、板垣は苦笑した。
「ねえ、私一歩さんとデートに行きたいの。一生のお願い!」
神頼みするようにぱんと両手をあわせる。可愛らしいしぐさでおねだりをする菜々子に、板垣はちらと視線をやった。しかしほんの少し振り返っただけで、そのままテレビ画面の方へと顔をそむけてしまう。
クラスの男の子たちは基本的に菜々子のウインクひとつでかたがつく。ちょっと猫なで声で困ったふうを装って、あとは小首をかたげてお願いすればたいていのことはOKだった。宿題を忘れても先生だって優遇してくれる。が、その程度の小細工では実兄には通用しない。
「ちょっとお兄ちゃんってば!」
「なんだよ菜々子、うるさいぞ」
板垣はわずかに顔をしかめたあと、適当にテレビのチャンネルをかえた。せわしなくボタンをおしては「あー今日はおもしろそうなのやってないなあ」とぶつくさ文句をたれている。
菜々子の話なんて、所詮その程度のあつかいなのだ。
お兄ちゃんのばかと呟きながら菜々子が板垣の肩をかるく叩いた。大げさに「いたたた」とうめいて見せた板垣は、ちいさなため息をついてから口をひらいた。つかんでいたリモコンはもう床においてある。
「だいたいな。先輩の予定だって確認したわけじゃないんだろ? お前の友達と違って先輩は働いてるの。社会人なんだから。急にそんなこと言われても困っちゃうだろ」
そこはかとなくお兄ちゃん風がふいた。もっともなことをいいはじめる兄に、菜々子はぷくーっと頬をふくらませた。ついで「もう! ぜんっぜん聞いてないんだから!」と拗ねてみせた。そういった菜々子の態度に、板垣はだいたい面倒くさそうに「はいはい」と返事をする。これもいつものことである。
菜々子がもちだす最近の話題と言えば一にも二にも「一歩さん」であるので、それもしかたがないことなのかもしれない。しかしながら菜々子は最初から最後まで聞いていない、むしろ聞く気すら感じられない兄に腹がたった。いい加減、我慢の限界なのだ。
「もうっ! ちゃんと一歩さんには用事がないか聞いてあるし、大丈夫だもん! っていうか結構前からお兄ちゃんにちゃんと説明してるのにィ!」
なんでぜんぶなかったことにしちゃうかな! と菜々子が声を大きくした。鼻息荒く肩をいからせている気配を感じて、板垣は逃げるようにうつぶせになった。耳をふさいでしまいたい気分だったが、そこまでするのはあまりにも大人気ないので、ほんのすこしだけそっぽを向く。
「…ボクが久美さん誘ってどっか行ったところで、やっぱり先輩と付き合っちゃうだろうし、無駄だろ。そんなの」
「もー! そうやってやる気なくすようなこと言わないでよお! お兄ちゃん、久美さんのことになるとすーぐ弱気になるんだから!」
お兄ちゃんのばか、しっかりしてよ!
菜々子が、ぱん! と板垣の肩を叩いたので、板垣は「いたいよ菜々子。そんなんじゃおまえ、お嫁にいけないんだからな!」と憎まれ口をたたいた。
Web拍手06 KAMOGAWA men's 2011年4月10日〜2011年7月30日
「ど、どうしちゃったんですか鷹村さんは…」
茫然自失とまではいかないものの、あきらかに驚きが隠せない一歩に、声をひそめた木村がそっと耳打ちした。こそこそと耳と唇を近づける彼らの視線の先には、鴨川ジムきってのボクサー兼理不尽大王がサンドバッグを豪快にゆらしている。どおん! という派手な音に邪魔されつつも何とか木村の言葉をひろった一歩が目をくりくりとさせた。阿呆のように口はひらきっぱなしである。
「どうもこうもよお、お前のせーだろ一歩ォ」
慄然としている一歩の首に青木が腕をかけた。小柄な一歩をつっかえぼうにしてそのままもたれかかる。うぐっとちいさな唸りをあげた一歩にかまわず、青木もいささか声のボリュームをおさえて話し出した。
「ほら、前に宮田が雑誌に載ったことあっただろ?」
トミ子が買ってる女性誌の、と木村がつけ加えた。すぐさま思い出したらしい一歩から「ああ! あのかっこよかったやつですね!」という声があがる。
「馬鹿ッ! 声がでかいんだよ!」
木村が低音で叱り付けた。ちいさな声で怒鳴る、という器用な芸当だった。
青木がしっかりと押さえ込んでいるので、一歩は逃げられない。木村はついでとばかりに両拳でこめかみのあたりをぐりぐりとしめつけてやった。あいたたた、という細い悲鳴があがる。
ひとしきりお仕置きをうけたところで青木がぱっと解放したので、一歩は一旦しゃがみこんでうーっと言いながら頭をさすった。うらみごとをぶつぶつと繰り返す。ひどいですようという言葉に青木と木村は声をそろえて「お前が悪い」と言った。
一歩は合点がいかず、不服そうな顔をした。
「そ、それでどうしてボクが悪いんですか」
「おう。それな。あん時よォ、お前宮田のことベタぼめしただろ?」
「えっ、そんなことないですよ」
一歩の否定をきいた二人が顔を見合わせて露骨に嫌そうな顔をした。青木の言葉に付け加えるように、木村が口をひらく。
「髪がさらさらで綺麗だとか、切れ長の目がクールだとか、手足が長くてすらっとしててかっこいいとか…ほかにもいろいろ言ってただろ」
「で、でもですね、それは本当のことで別にほめてたわけじゃな」
一歩が言い終わらないうちに木村がため息をついた。オーバーリアクションではああああっとわざとらしいポーズまでつくる。とりあえずいいからいいから、とおざなりに扱われた一歩が若干むすっとした表情になった。
「とにかくよ。あんまりお前が宮田のことばっかできゃあきゃあはしゃぐもんだから、鷹村さん、すねちまったんだよ」
あの人負けず嫌いだからなあと苦笑したのは青木だ。腕をくんで木村も同意する。
「黙れっつってもしゃべりまくる鷹村さんがまったくしゃべらなくなったのは一週間前からだ」
「おう。で、さりげなーくアウトボクサー的な動きばっかしてるのも三日前からだな」
妙な迫力でにじりよってくる二人から背をそらせて逃げをうつ一歩がごくっとつばをのんだ。じりじりと壁際におしやられる。
「そしてついにトレードマークのトサカをおろしやがった。もうこれ以上は不気味で近寄りたくねえんだよオレたちゃあ」
たしかに、と一歩は思った。他の誰でもないあの鷹村が沈黙に徹しているというのはなにやら胸騒ぎを感じてしまう。しかもらしくないヒトマネなんてものをされるのは不気味だった。青木と木村のおどろおどろしい物言いを差し引いても一歩を頷かせるだけの資料はいっぱいだ。
いつ導火線に火がつくかわからない恐怖がある。
「オレらはヒヤヒヤもんだったんだぜ、何せお前、それとなーく鷹村さんがオレ様を褒めろってアピールしてんのにまったく、まったく気づきもしないんだからな!」
「オレたちが気をもむ必要もねえところで迷惑かけやがって、絶対手伝ってやらないからな。あとは自分でなんとかしろよ」
「本当だよまったく」
小姑のように文句を言われて、一歩は「じゃ、じゃあどうしろっていうんですかあ」と情けなく聞いた。すぐさま、ようやく段取りどおりのところまできたぜ! と言わんばかりの笑顔で二人が口をひらく。
「お前の任務は鷹村さんをなだめすかしておだてまくってとにかく普通に戻すことだ。板垣に助っ人頼んでもいいし、宮田と比較してとにかく褒めるでもいい。なんでもいいからどうにかしてくれ」
図らずも自分でまいた種なんだ、責任もって刈り取りなさい。
そんなニュアンスを二人から感じ取った一歩はがくっと肩を落とした。
Web拍手07 KAMOGAWA men's 2011年7月30日〜2012年2月8日
シャワー室から出てきた板垣の足取りは非常に頼りなかった。少々大げさに言えば今にも膝が抜けてしまいそうなほどだ。まるで生まれたての小鹿のように足元がおぼつかないでいる。
仮に今ボクシング雑誌の記者がいたとして、板垣のこの姿を見て、練習中やリングの上での敏捷さをまったく想像できなかったとしても仕方がないのではなかろうか。それほどまでに板垣はフラフラとしていた。
まったく、常日頃彼がみせている華麗な足さばきはいったいどこに行ってしまったのだろうか。
少なくともその原因には多少なりとも心当たりのある木村が苦笑を浮かべた。ウェアの上着を脱いだまま、木村が隣に視線を流す。着替えを終え、腰にタオルをまきつけた青木も同じように含み笑いをしていた。
二人で目配せをし合っている様子は、傍から見れば何かよからぬ事を思案しているようにも見えるが、どちらかと言えば同情心や、もっと言えばかつて同じ心境に至った者だけに、妙な仲間意識からきている行動だった。
それに気がついたらしい板垣が「何も面白くなんてないですよ!」と言いた気な視線を二人に投げてよこした。むすっとした表情の板垣に、木村が面白半分同情半分で声をかける。
若干面白みの方を求めている感があるのはこの際仕方がないだろう。鴨川ジムのボクサーは、皆あの理不尽大王に毒されているのだ。
「よお、板垣。どうだった、初のご対面は」
恨めしそうな視線がじとっと木村をとらえた。
「どうもこうもないですよ。反則じゃないですか」
さながら海外ドラマの俳優のように、板垣が肩をすくめて見せる。わざとらしい仕草だが、アイドル顔の板垣には良く似合っていた。
「さすがに張り合おうって気も失せちゃいますよ、もう」
脱衣所のたなからタオルをとった板垣が、そのままわしゃわしゃと髪の水気を拭う。
「まあなァ、オレらもはじめて見たときはびっくりしたからな」
青木が「なあ」と木村に相づちを求めると、もったいぶった木村が深く頷いた。
「鷹村さんが一歩のタオルひっぺがした時だろ? オレもマジでびびったわ」
で、驚きすぎて二度見しちまったよと木村がコミカルな調子で言った。あ、お前も? と続いたのは青木だった。板垣は「やっぱり先ずは自分の目を疑いますよね」と同意する。
「なんつーかまあ、男としての自信が打ち砕かれるレベルだからな」
身振り手振りでなにかがガラガラと崩れる様子を表現した木村に、板垣がうんうんと顔を上下させる。その力いっぱいさ加減に、青木が大口をあけて笑った。
「ふつうの状態でアレなんだモンよ。そら恐ろしくっていざってときなんざ想像もしたかねーよな、はっきり言って」
「なんかもう、女の人に生まれなくってよかったーって思いますよね」
「そうそう。下手に彼女になんかなった日には大変だぞ。ありゃあはっきり言って凶器だからな」
「おっかねー。…マジで大惨事になりそうだな。スプラッタみたいな」
「シャレになってねーよ!」
木村のすばやい突っ込みに一同が耐え切れず、どっと笑い出した。その瞬間シャワールームの扉が勢いよくスライドする。もうもうとした湯気と一緒に現れたのは、散々っぱらネタにされていた幕之内一歩だった。
「な、な、なんてことっ言うんですか! 何度も何度もぶりかえして話題に出さないでくださいよっ
!」
しかも学くんまでぇ! という非難を半ば絶叫してピシャリと扉が閉じる。一歩はくもりガラスの向こうでわなわなと震えている様子だった。
あまりの剣幕に呆然としていた板垣が「先輩ごめんなさいっ」と両手をあわせる。それを歯切りに青木も「悪かったって、なあ一歩ォ!」と声をはりあげた。木村もばつの悪い表情で一歩の人影に声をかけた。
「悪い、もう言わないって。約束してやるからスネてないで出てこいよ。鷹村さんが帰ってきたら余計おもちゃにされちまうぞー」
苦笑まじりの木村の言葉を真に受けた一歩は「本当にもうやめてくださいよ!」と立腹しながら扉を開けるのだが、後日まんまと騙されてしまったということに気がつくまで後三日だったりする。
ちなみに、なんだかんだでその経緯と相談を受けてしまった宮田が、そんなんだからいつまでたっても遊ばれてるんだよ、とため息をつくのも頷ける、というお話しである。