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03:髪を一房拝借して

 はやめに見切りをつけることは得意だった。昔から、何かが続いたためしもなかった。
 ようやく口説き落とした恋人とも結局疎遠になってしまう事が多い。思えば自分ができてしまうことに、執着すること自体がなかった。そつなくこなせる分だけさめやすかったのかもしれない。
 木村は、過程を大切にするタイプだ。目的が達せられてしまうと途端に魅力を感じられなくなる。

 だからっていくらなんでもこれはねえよな。
 木村は頭を抱えて、心の中でひっそりと呟いた。もしかしたら実際に口に出してしまったのかもしれない。隣で寝転がっている一歩がむつかるように身じろいだ。しかし起きる気配はない。ぐっすりと寝入っている彼に、木村は胸をなでおろした。

 すぴすぴという寝息に安堵して、木村は目を閉じた。



 昨夜は太田荘で恒例の飲み会だった。勿論例にもれず青木も木村も板垣も、そして一歩も強制参加である。
 いつもどおりくだらない事で言い合い張り合う鷹村と青木に、意外といける口の板垣がからむようにして飲み比べに発展する事は今までにもままあった。勿論そうなれば、やはり強制的に木村と一歩もかりだされ、結局五人で限界までチャレンジするハメになる。これも強制参加だ。
 人の何倍も減量のきつい鷹村は、普段から節制していなければならない。しかし時折たがが外れたように暴走する傾向があった。突っかかっていくばかりの青木はそんな鷹村に何の配慮もせずに喧嘩を売る。性格的に、鷹村は挑まれれば迎え撃つ男だ。よせばいいのに調子にのって板垣が煽るものだから、最終的には全員が酔いつぶれるまでいってしまう。
 一歩が心配して制止をかけてもまったくとまらないので、木村としては自分が酔わないようにする以外対処方がなかった。何かあった時の保険として、五人全てが泥酔してしまう事態は避けなくてはならない。


 狭苦しい鷹村の部屋に、女っ気のないメンバーでぎゅうぎゅうとおさまって酒をくらうのは何ともわびしいものだ。ただ一人彼女もちである青木は、優越感とノロケに小鼻をふくらませて、まぬけな顔でトミ子との関係について語りはじめるので、「聞いてねえよ」と鷹村に蹴り飛ばされていた。
 目を覚ましてしまった木村は、やはり隣でジャケットをかけ布団にしている板垣の位置に、女でもいればよかったのになと思った。あのやわらかい体でも抱きしめて寝れば、少しは気分が晴れるかもしれない。香水くさい首すじに鼻をうずめて落ち着きたい。
 青木の高いびきをBGMに、木村はつらつらとそんなことを考えた。ぼんやりとした月明かりが窓から差し込んでいる。
 恋人と見りゃあさぞロマンチックだろうな。
 木村は、ざわつく自分の心に皮肉をこぼしてやった。



 鷹村は、王者の右腕を惜しげもなく一歩の腕枕として提供している。肘間接のあたりのくぼんだところに頭をあずける一歩は幸せそうに眠っていた。どう見てもかたすぎて寝心地は最悪そうなのだが、すっぽりと鷹村に包まれて寝ているので、もうそれが一歩にとって普通なのだろう。左腕にしっかりと抱きこまれて、大人しくしている姿は童顔と相まってこどものようだった。
 ただ、頬はあわく染まっている。アルコールのせいだ。一口二口程度ですぐに真っ赤になる一歩は、呂律こそ平生とほとんど変わらないものの酔いやすいせいか、いつも宴会では眠そうにしていた。
 今回もそうそうにダウンしてしまった一歩を介抱してやったのは木村だ。高校時代に鍛えられた部類の青木や板垣は鷹村と勝負に興じているので、誰一人として戦線離脱した一歩を咎めない。時々板垣が「先輩って期待にそっちゃうタイプですよねえ」なんて笑うぐらいで、完全にかやの外だった。
 木村は、ぼうっとして瞼を閉じそうになる一歩に何度か水を飲ませて膝をかしてやった。自分が羽織っていたコートも身体にかけてやって、かいがいしく面倒をみていたのだ。
 鴨川ジムの面子で飲めば、だいたい酔いつぶれる人間を引き受けるのは木村なので誰も不自然に思わない。ただ、木村が膝をかすのは一歩にだけだった。それだけはまだ誰にも気づかれていない。
「木村さあん…」
 間延びした一歩の、甘ったれた上目遣いを思い出して木村は手のひらで口元を隠した。いやだなと木村は思った。よりにもよってどうにもできそうにないヤツを好きにならなくたって良かったじゃないか。

「…安心しきった顔で寝やがって」
 オレの気にもなれよ。
 木村は一歩の方へと身体を向けた。左腕を即席のまくらにして、寝返りをうつようにしたのだ。おそらく鷹村が気まぐれでかけたであろう薄いタオル生地のひざ掛けが、ぱさりと落っこちた。あわい桜色のそれは、多分一歩のものだ。鷹村の匂いとは違う、おひさまの匂いがした。子供のような香りは、よく一歩がさせている。


 木村は、冴えてしまった目を恨んだ。静かな深夜には見たくもないものがころがっている。
 一歩を大事そうに抱きしめて寝ている鷹村は、穏やかな寝顔をしていた。いつものように眉間に刻まれているしわもない。木村はあらためて、鷹村が端整な顔立ちをしている事に気がついた。

 鷹村は、物音が立てばすぐに起きてしまう。合宿でわざとらしくいびきをかいたりしているが、実際には誰よりも遅く寝付いて、誰よりも早く起きるという事を続けている男だ。野性の獣のように、常に警戒している。
 それが今はどうだろうか。神経質な性質がなりをひそめて、大勢がひしめくなかで熟睡している。青木も木村も鷹村とは一番長い付き合いになるが、その年月の中でも見たことがなかった。この男の安心した顔など。

 もともと、鷹村から一歩をうばう気のない木村の心中は複雑だ。
 幸せにしてやる自信ならある。もしも一歩が鷹村とのことを一瞬でも迷うような素振りがあれば、さらっていく覚悟だってあった。しかし実際は、そんなドラマチックな決心の出番はどこにもない。
 うばう気はなくとも、木村とて男だ。あわよくば、機会さえあればと思うこともある。だからこそ、一歩にばかり優しく接してしまうのだろう。木村は思わず苦笑してしまった。案外とマジに入れ込んでるわけね、と妙に納得する。

 木村は、右手の人差し指と中指で自分の唇をなぞった。そのまま、一歩の髪に手を伸ばす。意外とやわらかい感触に、木村は目を細めた。木村がかけてやったコートごと一歩をがっちりと抱きすくめている鷹村に、髪のひとつまみぐらいわけてもらってもいいですよね、と内心で許しをこうた。


「もう本当、あんまり見せつけないでくださいよ。鷹村さん」


[ end ]



掲載日2010年12月19日