01:悪魔染みた愛撫
鷹村さんがボクにキスをするとき、たいていボクは無理やりひっぱり上げられるのでいつも息苦しかった。胸倉をつかんで力づくで立たせるからつま先が浮いてしまうこともしばしば。くびがしまるからやめてくださいってお願いしてもきいてくれやしない。ときどき遠慮なく髪をひっぱられることもあって、痛みに顔をゆがませることなんかもしょっちゅうだった。
興奮すると加減ができなくなる鷹村さんに壁に押し付けられてしまえば、もうボクが逃げ出すことはかなわなくなる。ちょっと待ってなんて制止はなおさら火に油をそそぐようなものなので、この頃のボクは黙ってされるがままになっていた。
それはもしかすると、彼にあわせて息をすることを覚えはじめたからかもしれない。鷹村さんがあまりにも激しくボクを抱きしめるから、ときどきボクは立場も忘れてその背中にすがりつきたくなった。
そんなに必死にならなくっても、いまさらボクは逃げたりなんてしないのに。
02:淫具
ひなかでの情事を一歩は嫌っている。当然と言えば当然のことだが、真面目な一歩は明るいうちに浅ましさを曝け出すことへ強い抵抗を感じるようだった。
しかし鷹村はそんなことを考慮するような男ではないので、一歩の希望が通ったことなど彼が気まぐれをおこした時に数えるほどあったかなかったかという具合だった。
何とかして逃げようと隙を探す一歩の目が四方へ泳ぐが、すでに相手がこの男ではどうしようもないと悟っているのか、すぐに鷹村へと視軸があわされる。
「鷹村さん、やめてくださいよ! 今日は三時に木村さんたちが来るって」
「ドアの前で待たせときゃいいだろーが」
ぎゃんぎゃんとやかましい口を煩わしそうにふさいだ鷹村は、一歩のウェアを下着ごとひきずりおろした。
とうに衣服をはぎとった上半身といい、あらわになった性器といい、一歩のそれは雄として成熟している。男性そのものの身体だ。
性癖がノーマルである鷹村を煽るのは女の肉のはずだ。だというのにどうしてだかいつもそそられるのは、その男の肉だった。
組み敷いた一歩からうらみがましい視線が鷹村へと投げつけられる。一歩が鷹村をうかがうような、許しをこうような目をするので、鷹村は鼻で笑ってやった。
03:裏口からおいで
薄汚い野良犬が近所を徘徊していたことを、鷹村は一週間前から知っていた。ちょうどロードワークの最中に、河原で子供に追い立てられているところをちらと見たのだ。棒で殴られて石を投げつけられればさすがに懲りて別のねぐらを探しに行くだろうと思っていた。しかし次の日もその次の日も、やっぱり犬は河原で子供の悪戯につき合わされていた。鷹村は、あいつ馬鹿なんじゃねえかと思いながら通り過ぎた。その気になれば逃げ切れるだろう速さと、抵抗するだけの力がありそうな大きな犬だというのに、何をこらえているんだか。
次の日からは四日も雨が降り続いたので、犬の姿は見なかった。おおかた雨宿りできるところにでも逃げこんだんだろうと鷹村は思っていた。
八日目の今朝、野良犬はびっこを引いてやはり河原でガキ共にからまれていた。ガキといっても最初の二日ばかり目にした小学生ではなく、だっさい格好の高校生だった。犬はヤンキーくずれに蹴飛ばされても、うめき声ひとつ立てなかった。気概があるというよりは、もうそんな力もなかったんだろう。
ついついでしゃばって不良から奪ってきた野良犬は、鷹村の予想を裏切って雑種の犬ではなかった。連れて行った先の獣医の話では、紀州犬という種類らしい。ぼろぼろに汚れて白いのか黒いのかよくわからなかった毛色も、洗ってみたら雪のように真っ白だった。「たぶん大きくなりすぎて捨ててしまったんだろうね。ほら、首輪に名前が入ってるよ」と言った獣医があんまりにも切なそうに首輪を指差したので、鷹村は「オレ様が飼ってやるから心配すんなよ」と野良犬のあたまを撫でてしまった。
04:襟足の痣
ジムの人間関係において暗黙の了解とタブーというものがあると知ったのは、ボクが鴨川ジムの練習生となって間もない頃だった。
みんなでわいわいがやがや騒いでいても、ふとした瞬間に場の空気が凍る時があった。室内の温度がすうーっと下がっていく感覚に何度か鳥肌がたって、思わず周囲を見回すと、そういうときはだいたい鷹村さんが誰かを睨みつけているときだと知った。その都度その都度睨まれている相手がころころと変わるので、ボクは最初はたんに機嫌が悪いだけだろうと思っていた。そしてなるべく用がないときは鷹村さんに近寄らないようにした。とばっちりを受けるのは嫌だったから、ばれないようにばれないように距離をとった。
けれどしばらくして、ひとつ気がついてしまったことがあった。鷹村さんの視線の先、男たちの共通点と、自分も含めた彼らがいったい何をしていたのか。そこにあったひとつの答えに、ボクは驚いて、そして気分が悪くなった。
すぐに彼を刺激してはならないと悟った。暴力よりも野蛮な、もっとずっと気味の悪いものを感じ取ってしまったからかもしれない。
ボクとしては、それからもしばらくはそつなく過ごしているつもりだった。けれどやっぱり同じようなタイプの人にはわかってしまうものなのか、木村さんが探りを入れてくるようになった。たぶん彼もそれについて確信をもっていない段階で口にするのは躊躇われたのだろう。
それは、じれったくなってボクが口をすべらせるのを待っているようにも見えた。
05:雄の匂い
昔からオレはやっかいごとを嗅ぎわけることに長けていた。人によっては日和見だと非難されることもあるが、そんなことを気にしていたらコウモリなんてやっていられないわけで。オレの口癖と言えば「オレみたいなのを要領が良いって言うんだよ」なんてものだった。
適当にやんちゃしてうまいぐあいに大学へ入って、とんとん拍子で公務員。あとは足さえ踏み外さなけりゃあ一生安泰ってところで、これまでのツケを一気に返済しろってわけか。なるほど、カミサマってやつはよく見てやがる。
よりにもよってなんだってオレの請け負ってるクラスの子かねえ。ほんと、教師になんてならなきゃ良かった。マジで。
生徒の前でとりみだすわけにはいかない、なんてこんな時ですら教師面をしているオレに、トップクラスの危険なにおいをさせてる少年が頭をさげた。
名前は何だったかな、なんて一瞬考えて、そういやあオレは結構薄情なヤツだったっけと思い出した。
「あの、木村先生。ありがとうございました」
「いや。…一歩くんが見つかってよかったよ」
半年前から行方不明。進学校の出身であることと、本人の素行にまるで問題がなかったという理由ですぐさま捜索願を出された生徒の背中には、見事な赤い獅子が息づいていた。うっかり見ちまったオレに冷や汗をかかせるには十分だった。燃えるように赤い、獅子。
やんちゃしてた頃に知り合ったそのスジの男は、たしか自分の情婦にこの刺青をいれていた。