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11:逆らう振り

 鷹村には、ほかに何人も女がいることを一歩は知っていた。しかしそれを理由に鷹村を責めたことなど一度もない。一歩は自分の立場というものをよくわきまえているのだ。数多くいる鷹村のオンナ同様に、一歩は自分も暇つぶしの一人でしかないのだということを十分心得ている。
 遊びの相手にむきになられた鷹村がどうするのか。一歩は一番身近にいるおかげでたくさん見てきているから知っていた。
 鷹村は何のためらいもなく肌を重ねた相手を捨ててしまえるのだ。一歩は捨てられたオンナにいつも自分を重ね合わせて胸を痛めた。そしてそのたびに彼女たちの何がいけなかったのか、何が彼の興を醒ましたのかをよく考えた。
 わかったことはとても多い。
 詮索しないこと。余計なことを言わないこと。呼び出されたらすぐに会いに行くこと。何を言われても泣かないこと。セックスは拒んではいけないこと。
 そしてときどきそれらに逆らうこと。非常に曖昧で鷹村の気分次第でどうにでもなる関係をうまく続けていくためには、最低限守らなければならないルールだった。

 ケータイの着信、呼び出しコールが三回で通話ボタンを押すのも、いわゆる決まりごとであったりする。
「あ。鷹村さんですか? あの、ごめんなさい。今日は夜釣りが入ってるから会いに行けそうにないんです」
「あ? まあ母ちゃん一人じゃ大変だろーしな。ンじゃあ明日泊まりに来れるか」
「明日ですか? ちょっと聞いてみないとわからないんですけど…何とかしてみますね」
「おー。…やっぱおまえだと物分りが良くていいな! じゃあな」

 用件のみですぐさま切られた電話に、一歩はちいさくため息をこぼした。
 この関係を続けていく上で一番大切なことは、鷹村に本気だということを悟らせないことだった。


[ end ]


12:しなやかに絡む脚

 女の脚だった。伝線したストッキングに、玄関で転がっていた片方だけのハイヒール。一歩の目に飛び込んできた女のつまさきには、もうひとつのハイヒールがひっかかっていた。
 趣味の悪い、赤い色をしていた。

「もう、いやになっちゃいますよね。あれってわざとなのかなあって考えちゃいますよお」
 一歩がころころと笑いながら、青木の用意した夜食に口をつける。震えている指先が箸を握れそうになかったので、青木は冷蔵庫にあった食材で手早くチャーハンをつくってやったのだ。
 深夜2時をすぎて後輩が突然たずねてきたときは何事かと思ったが、今にも泣いてしまいそうな苦笑いを見て青木は一瞬で理解した。鷹村の野郎、またやりやがったなと内心で舌をうち鳴らした。
「ボクのことなんだと思ってるんですかね、鷹村さん」
「あー。やっぱアレじゃねえか。こいつはオレ様にぞっこんだから何してもいいだろとか思ってんじゃね?」
「あはは。たしかにありそうだなあ」
 へらへらと笑うばかりの一歩と対照的に、青木の表情は険しい。ろくでもない扱いされて悔しくないのか! と怒鳴ってやりたかったが、そんなことぐらい一歩はとうに知っているだろうと思って口を閉じたせいだった。
 ここで一歩相手に説教をしたところでもうすでにどうにもならないということを、青木もわかっている。
 一歩がうつむいて、ちいさく嗚咽をこぼす。何だってオレが慰める係りなのかねと青木は思ったが、よくよく考えると多分一番誤解されない人選なんだろうなと合点がいった。まったくお前は泣かせるやつだなと青木は肩をおとした。

「おい、一歩。とりあえずよ、せっかく作ったんだから冷めちまう前に食っちまえよ」


[ end ]


13:すべてをあげる

 どう考えたっておかしいだろ。試合ならともかく、なんでそんなに痣だらけで平気な顔してんだこいつは。
 一歩に上着を脱がせた宮田は、衣服で隠れるようなところにばかりついた青黒い斑紋に目を見開いた。一番黒々としている鳩尾は、あきらかに拳で殴られたものだった。いたるところにくっきりとした歯型もついている。肩と首筋には、肉を食い千切りかけた箇所もあった。
 宮田の視線がゆっくりとおりていく。脇腹で目がとまると、一歩はか細く「宮田くん、もう服着ていいかな」と呟いた。一歩の言葉で、二の腕をつかんでいた宮田の左手に力がこめられた。顔色の変わった宮田に対して、一歩は視線を泳がせている。
 怒られるとわかっている子供のように、一歩は宮田から目をそらした。その瞬間を、宮田は見逃さない。
「おい、どういうことだよ」
 あばらのすぐ下あたりから、ぐるりといびつな弧を描いて皮膚がひきつれている。ケロイド状のそれは火傷の痕だ。それも、古いものではなかった。
 治りかけるとその上から新しい痣や傷が増えているようだった。肌に沈着してしまったのか、一歩の皮膚はところどころがうっすらと黒く色づいてしまっている。
 一歩は黙ったまま俯いている。
「どういうことだって、きいてんだよ!」
 こらえきれなかった宮田が怒鳴ると、首をすくめて脅えた一歩が「だって!」と叫んだ。

「みんなボクが悪いんだよ。鷹村さんのいう事がきけなかったから! 鷹村さんにこんなことさせちゃったボクが悪いんだ。…ねえ宮田くん、鷹村さんには絶対に言わないでよ、お願いだよ、だって鷹村さん、いつも謝るんだ! もうしないって言って優しくしてくれるんだ! だから鷹村さんのこと、悪く言わないでよ、お願い」


[ end ]


14:責め苦のように

 いつか、こんな日がくるんじゃないかと思っていた。ただあまりにも毎日が幸せで本当に順調だったから、一歩は忘れてしまっていたのだ。
 そういうの、考えないようにしてただけなんだろうなあ。そんなふうに言葉にしてみると意外とずっしりくるもので、すぐに胸が苦しくなった。ずきずきと痛む頭の片隅では、まだ一緒にいたいと泣き叫ぶ自分がいる。

 鷹村の兄だと名乗った男が一歩の自宅をたずねてきた時に、何となく予想はついていた。おそらく、この関係はもう潮時なのだということを、一歩は卓に切り出される前からわかっていたのだ。
 物分りがよくて助かったといった卓の表情は、鷹村がばつの悪い苦笑をうかべるときによく似ていて、少しだけ一歩を悲しくさせた。

 なかなか勇気がだせなくて、自分からはかけられなかった電話番号をおして、子機を耳にあてる。はじめてかけた筈なのに鷹村が「おう、一歩か?」なんて嬉しそうに声を弾ませるので、一歩はいたたまれなくなってぎゅうっと目を閉じた。唇をかみ締めて、ゆっくりひらき始める。散々泣いたあとだったから、こみ上げる涙はなかった。

「あの、大事な話があるんです。…今から会いに行ってもいいですか」


[ end ]


15:空々しい理性

 恥らうように膝をこすりあわせて鷹村の手を拒む一歩の身体には、それほど力は込められていない。本気で逃げをうてば許してやるものを、ギリギリのラインで受け入れる姿勢を見せつけてくるのだから鷹村にとってはたまらなかった。
 ほんの少し押してやればあっさりと侵入を許してしまう脚は、ときおりふるえて鷹村の指を求めた。つづきを、行為の先を催促している動きだった。口をひらけば嫌だとしか言わないというのに、彼の本性は淫らに鷹村を誘う。
 一歩はいつも、言葉と態度が矛盾している。
「もっと素直に言ってみろって。…ここがイイだの、そこがイイだの、あんだろ?」
「あッ、や、だ、だめ…! や、やめてくださ…ァ」
 か細い拒否は、もっとしてほしいという合図なのだと鷹村は知っている。中途半端なままでやめてやれば、一歩が「どうして?」という顔を見せるのもわかっていた。
 つまり一歩の性格上セックスをして欲しいだなんて、何があっても言い出せないだろうということは、鷹村こそがよく知っていることなのだ。しかしそれでも一度ぐらいは強請ってもらいたいというのも本心だった。

(オレばっか好きみてえで気に入らねーんだよ、バカ)


[ end ]



最終更新日2011年02月27日