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16:立入禁止区域

 もうこれ以上近づかないでほしい。ボクのこころの内側を、まるで土足で踏み荒らすみたいに、はいってこないでほしい。なんて返せばいいのかわからなくて困ってしまうようなことは、もう、言わないで。
 あなたのことをなんども考えたことはあるんです。どうしてボクを選んでしまったのかとか、なんでボクじゃなきゃいけないなんて言うのか、とか。そんなこと、あなたにしかわからないことなんだろうけど。ボクなりにむきあってみたんです。でもやっぱりよくわからなくて、あなたが怖かった。
 ボクだってひとを好きになったことはあるけど。好きってものがどんなものなのかとかぐらいならわかるけど。でもボクが久美さんを好きなのと鷹村さんがボクを好きなのはまったく違うじゃないですか。


「オレを選べよ。おまえの一生をオレにくれよ。なんもかんも全部オレ様にまかせちまえよ、なあ一歩。幸せにしてやる、後悔なんてさせねえ。おまえがオレを選ぶなら、全部捨ててやる。そんぐれえ、おまえの事が好きなんだ」

 だってボクは、こんなに激しい感情を知らない。


[ end ]


17:痴戯に耽る

 鷹村は、指輪を外そうとする一歩をいつも制した。シルバーリングをはめたまま、時折暗い顔をして、それでも鷹村のところへやってくる一歩に苛立ちこそすれ、気分が良いことなどなにひとつないというのに、きまって鷹村はその薬指の根本にキスをすることからはじめた。指輪ごと舐る、その途端にゆがむ、一歩の顔がたまらなかった。それから、そのまま奪うように引き寄せて十代の頃のようなセックスに興じるのも好きだった。

 きっかけは先ず間違いなく、酔った勢いでなだれ込んでしまった最初の一回だ。あのときはたまたま魔が差したのだ。オンナを知らないといって恥らった18の一歩に、教えてやるつもりだった。それが勢いにまかせて体をひらいた理由にはならないが、すくなくともきれいなものを汚してやれたような気はして、悪くはなかった。
 鷹村と一歩がもう一度肌を重ねることになった決め手は、一歩の結婚が決まったことにあるだろう。あの一夜をのぞいて、鷹村と一歩の関係はただの先輩と後輩でしかなかった。半ば現実味のない事実として互いの胸の奥底で埃にまみれ始めていたのだ。それを決壊させたのは、何も久美という女の存在ではなかった。
 一歩が久美と付き合いだしても崩れなかったふたりの均衡は、一歩の薬指で光る、たったひとつの指輪にぶち壊されたのだ。

 たんに人にやるのが惜しくなった。鷹村は、自分にそう言い聞かせてこの関係を愉しもうとしている。


[ end ]


18:爪痕の暗号

 あっと声をあげたのは木村だった。ついでやっちまったと目をそらしたのは青木だ。板垣は、ぎゅっと目をつむった。群れを率いているアルファより前を走るなんて、自殺行為もいいところだ。三頭は火の粉がとんでこないようにそろりと後ろへ引下った。
 しかしいつまでたっても鷹村の唸り声は聞こえてこない。
「おい、そう慌てんじゃねえよ」
「あ、ごめんなさい」
 とっとっとっ、と一歩がスピードをゆるめる。しょげたように耳をふせて頭を低くした一歩に、鷹村はぐるると喉をふるわせた。別に前に出るなとは言ってねえよ、と続ける。一歩が足をとめてきょとんとした顔を鷹村にむけた。
 アルファである鷹村の足もとまったので、後続に続く狼たちも様子をうかがうように距離をとった。けして先頭には立たないように、またいつ走り出してもついて行けるように周辺で動き回る。
 気難しい自分達の王の不興を買わないために、群れの幹部である青木と木村はとがった耳をそばだてた。一瞬の緊張がパック全体に走る。
 しかし木村たちの心配をよそに、上機嫌な鷹村は一歩の傍へと近寄って、ぐいぐいと肩を押し付けた。
「オラァあんま急いでっと転ぶって言ってんだよ。タコ」
 せっかくオレ様がととのえてやってんのに、テメーときたらそこらで転がりやがるから煤けンだろーが。鷹村が小馬鹿にするように言うので、一歩のはなづらに若干のしわがよった。不服そうな顔に、鷹村は面白いと言わんばかりにはなを鳴らした。
「だ、だってですね、鷹村さん。ボクだって走るのは好きなわけで、そりゃあよく転びますけど…」
「だからコロコロ転がるんじゃねえよ。ちったあ足元に気ィつけろ」
 一歩がううう、とちいさく唸り声をあげた。鷹村はそんな一歩を笑い飛ばして「せっかく白いんだからちっとは汚さねえようにしとけよ。もったいねえ」と彼の顔を舐め上げた。


[ end ]


19:手慰み

「ねえ鷹村さん」
 かけ布団も放り出してシーツの上に寝転がっている一歩が、鷹村の名を呼んだ。散々弄られたせいで、一歩の声はがらがらになっている。ひびわれた響きで呼ばれるのははじめてではなかったが、鷹村はンだよとおざなりにこたえた。一歩に対して背を向けたまま、ぐぐーっとのびをひとつして、そのまま後頭部をばりばりとかきむしる。面倒だといわんばかりの背中は、普段以上に横柄だった。
 しかし、ジムでの一歩なら思わず黙り込むようなすげない態度にも、ふたりきり、それも性行為のあとでは萎縮するはずがなかった。すぐに「そんなに邪険にしないでくださいよ」という言葉が控えめな笑い声とともに鷹村にかけられる。
 鬱陶しそうに振り返った鷹村の目に飛び込んできたのは、すみずみまで触れたことのある身体だった。しなやかな筋肉に覆われた優れた骨格は確かにうつくしい。時間をかけて丹精につくりあげられた肉の感触は、鷹村の一等気に入るところだった。しかしこの頃の一歩の雰囲気だけは、どうにも鷹村の癇に障って気分が悪い。
 鷹村の眉間に一気にしわがよせられる。
「こういうのって何て言うんですかね」
 わかってて言いやがったな、こいつと鷹村は思った。一歩の目はときおりにぶい彩を見せる。そのたびに感じる不健全なにおいに、鷹村は無性に腹が立つのだ。
 自分の手でそういうふうに染めてやったことは棚に上げ、鷹村は「知るかよ」とだけこたえた。


[ end ]


20:途惑う瞳、求める唇

 愛してるなんて真剣な瞳で言われても何も返すことができない。責められていると感じた一歩は鷹村から眼をそらした。余所余所しく顔をそむけたあげく俯いてしまった一歩に、鷹村は「悪ィ。急ぎすぎた」と呟いた。彼らしくない言葉だった。一歩をいたわるというよりもそのまま踏み込んで傷を負うことを拒むような、そういう物言いに一歩の胸が締め付けられた。一歩は、たぶんボクはとても卑怯なことを考えているんだろうと思った。
 一歩の顔がぱっとあがる。そのまま唇がひらくその前に、鷹村は目じりをさげたやわらかな表情をうかべた。
「別に焦ってるわけじゃねえんだ。もうしばらくは、このままでいい」
 鷹村は自分で言ったことを噛みしめているように一歩には見えた。こういうやりとりは今にはじまったことではなかったので、一歩は謝罪のためにひらいた口を閉じた。そんなことは絶対にありえないと思うけれど、今言ってしまったら、鷹村が泣いてしまうような気がしたのだ。申し訳なさそうにもう一度視線をおとした一歩に、鷹村が唇をとがらせてみせた。
「お前がおっさん好みなのは知ってるしな。ま! 後4、5年経ってみろ。オレ様の方がいい男だってことがはっきりすっからよ」
 からっとした顔で鷹村が笑うので、一歩も「そうですよね、鷹村さんかっこいいから。きっと素敵なおじさんになりますよ」と笑った。
 少しむっとしたらしい鷹村の左手が、一歩の頭を乱暴に撫でる。ガサツで武骨な指の感触に、一歩は目を閉じた。

(本当に、伊達さんじゃなくて鷹村さんを好きになれたら良かったのに、なんて)


[ end ]



最終更新日2011年02月27日