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26:膚の手触り

 卒業する頃には終わっちまうと思ってたけどな。
 ぽつりと鷹村が言うので、一歩は「それってどういうことですか。せんせい」と懐かしい呼び方で鷹村を呼んだ。
 高校を卒業してまだ日の浅い一歩が少し舌足らずな発音で先生なんてことを言うので、途端に背徳感だとか罪悪感だとかが鷹村の胸に押し寄せた。むかしは気にならなかったというのに、どうしてか一歩といると「ああ。こいつをひきずりこんじまったのはオレ様なんだよなあ」と後悔半ばな感想が頭にちらついた。
「ん? いやあよォ、距離ができるってーのは普通、結構こたえるもんなんだぜ?」
 鷹村の言葉を合図に一歩がすうっと目を閉じた。瞼の裏側に思い描くのは、はじめて顔をあわせた頃だった。まだ新米と言ってもいい25の担任と、中学3年になったばかりで15にもなっていなかった生徒。
 あの頃はこんなことになるなんて思いもしなかったなあと一歩はちいさく笑った。ふふ、とこぼれた笑い声に鷹村が訝しんだのか、器用に左の眉だけをくいっとあげてみせた。
 あの頃と変わらないなあ。一歩はうすく笑みをうかべたまま、自分の身体にまわされた鷹村の腕を解いて、隣に敷いた自分用の布団の上に移動した。
「それってせんせいの体験談ですか?」
「まあな」
 鷹村が言葉を濁す。10よりも年齢に差があるのだ。大人の男に恋のひとつやふたつ、あるいはそれ以上の経験があっても一歩は何一つ気になどしない。だというのに鷹村の方は思うところがあるようで、一歩の前では自分の過去を曖昧にしようとしてばかりだった。

(ボク、気にしてないんだけど…そういうのはやっぱり、昔から変わらないなあ。鷹村さん)


[ end ]


27:秘密という名の砂糖菓子

「ねえ、一歩さん。今週末は出かけたいところがあるの」
 いいでしょう? と小首を傾げる久美に、一歩は頬をそめて頷いた。久美はそれを見て何かを含めるように「良かった。じゃあ約束してくださいね」と左手を一歩にむけた。ゆびきりを求めるように、小指をさしだす。
 少し震えているのは久美の緊張からだったが、そういうところに疎い一歩は気づかなかったのか「ゆびきりなんて久しぶりだなあ」などと的外れなことを呟いてにこにことしていた。若干強張っていた久美の表情も、一歩の穏やかな雰囲気としぶることなく約束してくれたことによってほんの少しやわらいだ。

 今週末は、鷹村の誕生日だ。いつでも一歩と出かけられる久美がわざわざ終末に限定して約束した理由がそこにあった。いわばこのとりつけは、久美にとってのひとつのかけでもあるのだ。
 鷹村と一歩のあいだには、久美が一歩と恋人として関係をもつ前から、どことなく見過ごせない何かを感じてはいた。それをはっきりとしたかたちで久美が意識したのは、一歩と婚約してからだった。鷹村ではけっしてとれない手段で一歩と久美の関係が明確になったとき、鷹村が久美へむける視線に嫉妬がこめられるようになったのだ。殺意にも似た激しい感情をむけられて、疑心は確信へと変わった。少なくとも鷹村は、一歩を愛しているのだと、一瞬で悟ってしまったのだ。そして一歩にとっての一番大切なものも、久美はうすうす感じていた。愛なのか情なのかそれとも別の何かなのか、一歩自身が未だに気がついていないようなのでこちらは確実ではなかったが、先ず間違いなく自分でないことだけは知っている。
 となれば、久美のとるべき方法はやはりひとつしかないのだ。

「楽しみですね、久美さん」
「そうですね。私もすごく楽しみなんです。きっといいことがあるだろうから」


[ end ]


28:不実な獣

「なあ、ほんまにええんか? 今やったら引き返せるで」
 そんな気はさらさらないだろうに、それでも千堂はかたちだけの問いかけを一歩にした。一歩本人から了承を得ることで共犯だということを確かめたかったのだろう。
 一歩は一度だけ目を泳がせて、千堂の首に両腕をまきつけた。してくださいというちいさな言葉をききとどけて、とまっていた千堂の手が一歩の身体をさまよいはじめる。
 一歩は、自分と付き合っているにも関わらず、オンナ癖の悪さがいつまで経ってもなおらない鷹村の気持ちがわからなかった。どうして恋人がいるのに他に手を出せるのか、泣いて訴えてもかわらないのが理解できなかった。もうボクのことは好きじゃないんですかと聞けば、その都度鷹村は「ンなわけねえだろ。愛してるぜちゃんと」とこたえるのだ。嘘をつかない人だから、多分言葉どおりなんだろうと思う。
 じゃあ何でほかの女のひとのところに行くんですかと聞けば、やっぱり鷹村は「仕方がねえだろ。そういうもんなんだよ」としか言わないので、一歩はもう考えることに疲れてしまったのだ。

 馬鹿なことをしているんだろうなあという自覚はあった。
 首筋に吸い付いている千堂の髪からは彼のにおいしかしない。かぎなれたそれでも感じなれた肌でもない感触はどことなく一歩の胸のうちをざわつかせるばかりだ。正直に言ってしまえば、生理的な熱以外の興奮を得られるわけがなかった。
 冴えた頭で、一歩は千堂の慣れた手つきについて考えた。男抱くんははじめてやなあと笑っていたので、これは千堂がオンナに対して行うことと同じなのだろう。だとすれば、鷹村もこんなふうにオンナを扱っているのだろうか。そんなくだらないことばかりに囚われそうになるので、一歩は千堂に「もっと痛い方がいい」とねだった。


[ end ]


29:変質する核

 布団に横になると必ず、一歩を後ろから抱きしめて腹部ばかりをなでる鷹村に一歩がふふふと声をもらした。
「鷹村さんってそうやっておなかさするの、好きですよね」
 どうしてですか? という一歩に鷹村が「あー。まあ…なんつーかな」と歯切れの悪さを見せた。めずらしく言いよどむ鷹村に、もう一度一歩が声をかける。ためらいがちに名前を呼ばれた鷹村がちいさなため息をこぼしたのを、一歩はぴたりと密着した背中で感じた。
 しばらく鷹村の様子をうかがって黙っていると、わざとらしい咳払いをして鷹村が話し始めた。
「ここにガキができりゃあいいのによって思ってな」
「赤ちゃん、ですか」
 鷹村の言葉に一歩の声がちいさくなる。トーンの低いそれに、すかさず「勘違いすんなよ。別に女が良いって言ってンじゃねえよ」と鷹村からの訂正が入った。しょげた一歩がおずおずと鷹村の方へ顔をむける。一歩が身体ごと振り向けるように腕をゆるめて、鷹村は苦笑をうかべた。
「ガキが欲しいってーのでもねえぜ」
 鷹村と向き合うように身体を移動させた一歩の顔は、不安そうな表情をしている。何をそんなに心配してんだかこいつはと鷹村は半ばあきれて、一歩の腹にてのひらをあててやった。

「ガキができりゃあよォ、かたちができンだろ。こればっかりはまあ、オレ達じゃ無理な話なんだけどよ。オレ様としちゃあおまえといられる理由になるんならやっぱ欲しいしなって」
 話している途中で鷹村が言葉をとめる。
 はあーっとため息をひとつこぼして、鷹村は腹においていた左手を一歩の目元へと持ち上げた。

「ったく、泣いてンじゃねえよバカ」


[ end ]


30:欲するものは愛ではなく

 ボクにとってセックスはお仕事だったから、お客さんへの好きだとか愛してるって言葉ももちろんサービスのひとつであって、この言葉がそれ以上の意味を持っているなんて思いもしなかったんです。だってボクを買ってくれるひとには、ちゃんと女の人とお付き合いしてるひとだっていたし、よく会いに来てくれてときどきお土産なんかもくれたひとには奥さんもいたんですよ。いちたすいちはって聞かれて「に」ってこたえるようなものだと思ってたんです。
 好きだよって言われたら「ボクも大好きですよ」ってこたえることを。
 だから鷹村さんのこと、ちょっとこわかったんです。だってこういうお店にきて、なにもしないで帰ってくから。そんなに安くないのに会いにきてくれて、でもセックスしないだなんて、おかしいって。みんなはいいお客さんじゃないって言ってたけど、やっぱりボクにはわからなくて。だって何のためにきてるのかなって思うじゃないですか。先輩とか上司に連れてこられて「彼女がいるから」ってサービスを断るひともたまにいるけど。
 むしろやることやっておいて体をつかった商売を蔑むひとの方が多いぐらいで、何もしないなんて、そんなひと滅多にいないんですよ。
 それに、そうは見えないってよく言われますけど、ボク、こういうところで働くの、もう長いんです。

 だから、と続けようとした一歩の言葉を遮って、鷹村が口をひらいた。

「言いたいことはそれだけか? ンなもんぜんぶわかってんだからよォ、テメーは何も難しいこと考えてねえで黙ってオレ様についてくりゃあいいんだよ」

 どうしてそんなに優しくするんですか、という一歩の呟きに鷹村は双眸を細めて笑ってやった。


[ end ]



最終更新日2011年02月27日