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31:待て、おあずけ

 ふだんは何も知らないって顔してやがるくせによ、そりゃあサギじゃねえのか。
 ちっと小さく舌を打ち鳴らして鷹村は一歩の頭をひきはがした。口腔から引き出された彼の性は、すでに十分な熱をもっている。
 口元を唾液でべとつかせて、鷹村の股間に顔をうずめていた一歩が不服そうに顎をあげた。物欲しそうな目をして、一歩はあかい舌でてらてらとてかっている唇を舐めあげた。見せ付けるような仕草に、鷹村の視線がくぎづけになる。
 練習上がりの鴨川ジム。ベンチに腰を落ち着かせている鷹村の目の前で、一歩は褥での情事を思わせるような表情を見せていた。かすかな音をもらした吐息が、なやましく鷹村にまとわりつく。
 まるでひとの言葉を忘れてしまったかのように、一歩は何も言わず、ただ鷹村の指示を待っていた。よく躾られた従順な犬のように、けれど彼にしなだれる腕はどこか婀娜っぽく、鷹村の膝に触れている。

 一から十まで一歩にあますことなく教え込んだのは鷹村だ。うぶなことを言ってばかりの少年にからかいまじりで手ほどきをしたことがきっかけではあったが、鷹村は一歩のことを愛してしまっていた。
 当初の予定から足を踏み外したのがどのあたりでだったか、などということはさして問題ではなく、むしろ最近は鷹村の方に余裕がなくなってきたことが問題であった。
 昼と夜とで見せる貌のちがいに、頭がくらくらしてしまうのだ。妙な色っぽさにあてられて、むさぼるように抱いても飢えと渇きを覚えるようになってしまった。恋に溺れるってのは、こういうことかと鷹村は思っている。対処法は今のところ考え付かないので、暇さえあればこうして情と愛とをぶつける日々だ。不健全でいやらしいところなんかがまた鷹村を興奮させた。

 一歩に対する欲をうまく自制できない。

(どっちが犬だかわかりゃしねえな)


[ end ]


32:淫らな罠

「まァだるっこしーんだよなあ」
 鷹村にしてはめずらしい、困り果てたような言い方だった。わざとらしさはあるが、はあっとため息を吐く姿には落胆が見てとれる。傍若無人な男の後姿が今日はすすけて見えるほどだ。
 よせばいいのに気になって木村はうっかり声をかけてしまった。どうしたんスか鷹村さん、という呼びかけに、鷹村は待ってましたと言わんばかりに振り向いた。「おう木村か」という応答には、よく聞いてくれたというニュアンスが多分に含まれている。木村はその一瞬で自分が地雷を踏んでしまったことを確信した。嫌な予感がする。
「木村よォ、おまえ順序とか考える方か?」
 鷹村が右手の小指をたてて「コレとよろしくやンのによ」と続ける。その仕草で合点した木村は「ああなるほどね」と思って頷いた。ようするにオンナの話しという訳だ。
「付き合う前は割と段取りつけて口説きますけど。それ以降は…まあデートとかは考えますね」
 自分で聞いておいて鷹村は興味なさそうに「そーか」とおざなりに頷いたあと、わずかに躊躇したのか歯切れ悪く「なんつーかよ、成り行きでくっちまった時とかねえ?」と切り出した。段取りも何もない、行き当たりばったりな展開は鷹村らしいと言えば確かにらしいので、木村はあきれ半分に口を開いた。
「高校ンときはいましたけどねえ。そーいうのに限って長く続かないんですよ。まあオレの時は女の方もそーいうのが好きなやつだったんで仕方ないっスけど。…ひょっとして鷹村さん、酔った勢いでってやつですか?」
 またか、という木村に鷹村は下唇をつきだして不愉快そうにしたが、すぐにまたはあっとため息を吐いた。いよいよもってらしくない鷹村に、木村が目を見開いて「どーしたんスか、本当」と呟いた。鷹村のただごとではない雰囲気に木村の表情がひきつった。

「まあなんつーかその、な。酔っ払ってなかったっつーこともなかったんだけどよ、さすがにマズイやつに手ェだしちまってよお。アッチの具合はイーからオレ様的には結果オーライなんだが。…なし崩し的にずるずるすんのも気が引けてな。かといって付き合ってるって訳でもねえし、ちっと困ってんだよ」
 なんとなくこれ以上は深く関わってはならない、そんな警告が頭の片隅にあったので木村は「まあケバい系ならともかく大人しいタイプの娘ならちゃんと断っといた方がいいんじゃないスかね」と適当に切り上げようとした。
 しかし鷹村から逃げ切れるはずもなく、結局木村はこの後彼を悩ませている相手が誰だかわかってしまうまで話しを聞くハメになるのだった。


[ end ]


33:無垢を手放した日

 若ければ若いほど商品としての価値は高くなる。13歳になったばかりのときにオーナーに拾ってもらえたことは運が良いと言われた。丁度その年頃から5、6年が春を売るのに一番いいのだそうだ。
 血統登録のすんでいない子供が生き残るには、窃盗か売春が手っ取り早い。というよりも、身元が定かではないため食い扶持をつないでいく手段がそれぐらいしかないのだ。限られた方法の中で大人に見放された子供は選択しなければならない。
 劣悪な環境で重労働を強いられて使いつぶされる者が多い中、衣食住を与えて社会のルールまで教えてくれたオーナーに、一歩は感謝していた。
 だから一歩は他の子供たちが嫌がる客ばかりを受け入れているのだ。自分と似たような境遇の少女や少年に同情をしているわけでも、まして施しをしているわけでもなかった。ただ感謝の気持ちを表現するには、自分の身体で稼ぐこと以外になかったからだった。

 今日は鷹村さんがくるみたいなんだけど、どうにかならないかな。あんまり目立ってると気にするみたいだからできれば隠しちゃいたいんだ。
 一歩が眉をさげて頼み込むので、菜々子も困り顔になった。
「うーん。鷹村さんって一歩さんのこと抱かないみたいだし身体の方は気づかれないと思うんですけどー…さすがに顔は」
 ちょっとお化粧してもダメな気がしますという菜々子の控えめなこたえに、一歩は「やっぱり?」と苦笑した。
 一歩の唇のはしは、少し青紫色になっている。「平手打ちですんだから良い方なんだよ、これでも」と言っていた一歩のトレーナーをまくりあげれば腹や二の腕にも痣がついていた。肌の上には鬱血も見られて、恋人でもない関係でそこまで執着する客はある意味カモでもあるのだが、正直面倒な相手でもある。こういった商売で嫉妬深い客を受け入れるのは少々リスクが高い。
 元々は菜々子に目をつけていた客だっただけに、申し訳なさでこうして一歩の手当てを買ってでているのだが、菜々子の腕に鳥肌がたつような乱暴な抱き方をする男だとは思いもしなかった。
 財閥か何かの御曹司である今井は、菜々子の前ではいつも実直な好青年だったので余計に怖いと感じるのかもしれない。
 とりあえず手首には包帯まいておきますね、と言った菜々子の指先がかすかにふるえているのを見て、一歩はすまなそうに目を細めた。
「いつもごめんね、菜々子ちゃん。手伝わせちゃって。ボクって昔っからちょっと不器用で…本当は自分で手当てとかもできたらいいんだけど」
「そ、そんなことないですよ! 私の方がいつも助けてもらってばっかですもん。これぐらいやらせてくださいよお」
 そう? じゃあお願いするね、と言った一歩に、菜々子は少しだけ泣きたくなった。


[ end ]


34:melt into honey

 鷹村さんがちいさな子を連れてきて「すまん。オレのガキらしい」なんていきなり頭を下げるから、さすがにボクもびっくりしちゃった。
 そんなことをあっさり話す一歩に、板垣は目を見開いた。
 板垣は一歩があやしている子供を、彼の親戚のお子さんなのかな? と思っていたので自分の考えていた展開よりも斜め上の現実に混乱してしまいそうだった。
「えっと、先輩…鷹村さんと付き合ってるんですよね?」
 恋人ってやつでと付け加えた板垣は、テーブルを挟んで真向かいに座っている一歩に顔を近づけてきいた。前のめりになったのは、ファミレスという場所のせいか他の子連れ客の声が大きすぎて一歩に聞こえないかもしれないと思ったからだった。
 一歩があっけらかんとして「うん」と頷いた。
「じゃ、じゃあなんでそんな面倒とか見ちゃってるんですか? ふつう付き合ってる人に子供がいるなんて言われたら修羅場じゃないですか」
 菜々子だったら多分共通の知り合い全員に電話しまくりますって。久美さんだってぜったい許さないと思いますよ。あそこはお兄さんがただじゃすまさないと思うけど。
 板垣はわかりやすいように一歩も知っている女性の名前をあげて力説した。あわよくば鷹村から一歩を奪えるのではないだろうかという下心もあるにはあるのだが、本当に心配しての言葉だった。もしも嫌々面倒を見ているのであれば、ボクのところに逃げてきてくれればいいのに。そうしたら助けてあげられるのにと思っているのだ。
 一歩は寝入っている子供に微笑みかけた後、落ち着いた様子で口をひらいた。
「たぶん、女の人だったらね。きっと怒って出て行っちゃうんじゃないかなあ。本当言うとね、ボクだって思うところはあるわけだから。もしも鷹村さんがこの子を連れてこないで事実だけを教えてくれてたら、別れてたかもしれないんだけど」
 だったら! と声を大きくした板垣に一歩は「でもね」と続ける。一歩の言葉を待って、板垣はひらきかけた口を閉じた。
「ボクはほら、男だから。このまま一緒にいたら二人とも家族をつくることはできないってこと、すごく考えさせられてたんだ。ボクたちの間にあるものは一生かたちにならないんだなあって思ってて。それってさ、結構寂しいことなんだなあって」
 だからね、鷹村さんに似てるこの子見てたら、嬉しくなっちゃったんだ。鷹村さんには家族ができたって思ってすごく。

「まあ、ボクがつくってあげられないことには変わりはないんだけど。でもなんかこういう幸せもいいなって思ったんだ」


[ end ]


35:もうおしまい

「だめってのは聞き飽きちまったぜ」
 後ろ手で教室の扉をロックした鷹村に、一歩はいつものように微笑んだ。細められた目が聞き分けの悪い子供を見るように、すこし困ってしまったような笑い方をしている。生徒にからかわれていっぽちゃんなんて呼ばれてるペーペーの癖によ、こういうときばっか大人みてえな顔すんじゃねえよと鷹村は顔を顰めた。
 あわいグリーンのカーテンが風をはらんで裾をあそばせている。ちょっと風が強いねと言って一歩が窓をしめた。
「誤魔化すな」
「誤魔化してなんてないよ」
 鷹村と一歩の会話はいつも平行線だ。いくら鷹村が踏み込もうとしても、それをするりとかわして一歩は逃げてしまう。明確な拒絶でもなく、かといって受け入れるわけでもない態度に鷹村は焦れた。いっそはっきりと言ってしまえと思うのだ。鬱陶しい、気持ち悪い、やめてほしい。どんな言葉であっても構わなかった。ただ向き合ってこたえて欲しいだけだった。生徒が教師を好くようなものではなく、男が相手を欲しがるように見ていることを知って欲しいだけなのだ。
「テメーが好きだってよォ、なんべん言わす気だよこのオレ様に」
 いつもいつも情けねえ顔で笑ってばっかだよな、おまえ。ちったあ何か言えってんだよタコ。
 鷹村の言葉に、一歩は一瞬観念したかのような表情を見せた。しかしそれもすぐに教師の顔で隠れてしまう。
「…鷹村くん。きみはね、まだ色んなことを見てきていないから。ちょっと毛色のちがうボクのことが気になってるだけなんじゃないかな。もっと時間が経てばね、たぶん違うんだってことに気づくと思うよ」
「殴られてえのかアンタ? さすがによお、いっくら温厚で滅多に手え出さねえオレでもよ、なめたこと言われっと腹ァ立つんだぜ」
「うん。でも、ボクはそう言ってあげるしかできないから。ごめんね?」

(はじめから終わってしまうことがわかっていることに、まともな返事なんてできるわけないじゃないか)


[ end ]



最終更新日2011年02月27日