44:我を失う
混雑した購買前でもみくちゃにされていた一歩をぐいっとひっぱって救い出してくれたのは、三年の鷹村守だった。猫の子にするように首根っこをがしっとつかまれた一歩が鷹村の姿を見て「た、鷹村さん!?」と大声をあげる。その瞬間後頭部にげんこつが見舞われた。ばきっという痛々しい音とほとんど同時に「痛ァ!」と叫んで蹲った一歩に、鷹村は不愉快そうな顔を隠しもしなかった。
「毎回毎回てめえは声がでけえんだよ! タコ!」
鷹村の吼え声に、生徒でごったがえしていた購買前がざわついた。それも仕方のないことだった。鷹村は滅多に登校しない上に、今西北高の内外を問わず最悪最強の男として有名なのである。
今西北高の悪魔、破壊王、自然災害とまで外野はつぶやいていた。自分につけられた悪名にまぎれて時々粗大ゴミという単語がさりげなくまざっていることに鷹村のこめかみがぴくりと動いた。
「あ? 見せもんじゃねえぞコラ」
たまたま目のあった学生に鷹村が凄む。男子生徒のひっという悲鳴を合図に、人だかりは蜘蛛の子を散らすように去っていった。
一歩はまだしゃがみこんでいる。
「いつまでそーしてんだアホ!」
軽く蹴りを入れられて一歩が「うわっ」と声を出した。もう、やめてくださいよォという情けない懇願に鷹村がはんっとはなで笑う。
「うるせえ。オレ様に断りもなくうろちょろしやがって。購買行くんなら教室に顔だしてからにしろってんだよ」
「だ、だってはやく行かないと売り切れちゃうし。焼きそばパン食べた…ってそもそも鷹村さんがいけないんですよ!」
2時間目の授業が終わったあと、ボクのお弁当食べちゃったんだから!
すっくと立ち上がった一歩がふくれっ面で文句を言った。鷹村は悪びれもせずにわざとらしく小指で耳掃除をしてみせた。あさっての方向をむいて、聞こえないふりをしている。
「なんでそんなに食い意地はってるんですか。せっかくボクが鷹村さんにもお弁当作ってきたのにそれも全部食べちゃうし」
もう! 鷹村さんのいやしんぼ! とぷりぷりしている一歩を鷹村はぎろりと睨みつけた。睨みつけたといっても鷹村と一歩の身長差のせいで傍から見るとそう見えるだけである。見下ろされた一歩は一瞬びくっと首をすくませたが、鷹村が怒っているわけではないことを知っているので必要以上に脅えることはなかった。
「てめえのつくった飯がうめえのが悪ィんだろがよ」
まあ玉子焼きはちっと甘すぎっけどな。俺ァしょっぺー方が好きだ。あと肉が足りねえ。
鷹村がすらすらと続けた注文に一歩はしょうがないなあと苦笑をこぼした。
鷹村と一歩が出会ったのは、ちょうど一歩がクラスメイトの梅沢たちにからまれていたときだった。
なんくせとしかいいようのない理由でいつも殴られたり蹴られたりしていたのだが、たまたまその日は昼休みだったために昼ごはんが犠牲になりそうだった。とりあげられた弁当をかえして欲しいとは言えない一歩の目の前で、梅沢が投げ捨てようとした時だった。鷹村が「もったいねえことしてんじゃねえよ」と間に入ってくれたのは。
「テメーも母ちゃんがつくってくれたもんぐれえ守れるようになれよな」
と言いながら鷹村が梅沢の手から取り返してくれた弁当を受け取ったことがきっかけだった。助けてもらったお礼にと自信作のオムレツをお裾分けしたところ、鷹村がいたく気に入ったらしく会話がはずんだ。自分でつくったことをあかしても鷹村は一歩のことを馬鹿になどしなかった。それどころか「すげえな。よくもまあこんなにうめえのが作れるもんだ」と感心したように褒めてくれたのだ。そんなことははじめてだったので、一歩は嬉しかった。ついつい調子にのってしまい「じゃあ、鷹村さんのも作ってきましょうか?」と提案し、現在にいたっている。
「あー。あとよ、何だっけか、こないだ弁当に入ってたやつ」
「休み前の金曜日のですか?」
「いや、多分違え。もっと前だったような気ィする」
なんとかって野菜でよお、肉つかってまいてあるやつ、とぶつぶつ呟きながら鷹村が顎に手をあてて考えているので、一歩は「それってベーコンのアスパラまきのことですか?」ときいた。
「おー。多分そいつだ。あれ作ってこいよ。あとハンバーグはでかいのにしろ。ちいせえと食出がねえ」
「お肉ばっかりだとバランス悪いですよー。べつの容器に野菜炒めもつくってきますから、それも食べるならおっきいハンバーグにします」
「ったくてめえはまーた母ちゃんみてえなこと言いやがって! ま、一歩の弁当すげーうめえからよ。期待しとく」
とりあえず、この焼きそばパンのオレ様のだな! といって一歩の手からひょいっとパンを奪っていった鷹村の背中に「あー! 鷹村さんのばかー!」という声がかけられる。振り返った鷹村はいたずら小僧のような顔をして満面の笑みをうかべた。
「ジョーダンだよジョーダン。ほらよっ」
と言ってぽんっと投げられた焼きそばパンをあわててキャッチした一歩は「欲しいって言ったらわけてあげたのに」と頬をふくらませた。