001:夕立に混じる
つかまれた手首があつい。触れられた肌がどろどろと溶け出す錯覚に襲われる。冷静さを失うのを厭い、一歩は鷹村の手を振り解こうと身じろいだ。しかしそれも、指先で締め上げるように力を加えられてしまえばかなわぬものだった。
気まずい空気が無言のふたりをとりまいた。居心地の悪さを強調するような雨の音が、一歩のあたまのなかでずっと反響していた。
「…好きだ」
鷹村のくちびるがすこし開いて、そんな言葉がとびだした。一歩は目を見開いて、自分の耳を疑った。眉をよせた怪訝な顔で鷹村を見やると、思いのほか真剣な目と視線がぶつかった。
息をのむ一歩に、鷹村がもう一度言った。
「おまえが好きだ」
十分に咀嚼して意図をはっきりと認識した一歩の頬がさっと赤らんだ。そこには羞恥も歓喜も見当たらなかった。怒りに潤む瞳の奥に、まとめあげた髪が乱れるほど濡れそぼった鷹村がうつりこんでいるだけだ。
どしゃぶりの雨のなか、わざわざ一歩のところまで走ってきたのだろうか。人並みはずれた体力を誇る鷹村だけにさすがに息自体はあがっていなかったが、身に着けているウェアは絞れるほど水を吸っているように見えた。
滴り落ちる水滴が、鷹村本人よりもずっと雄弁に一歩に語りかける。
冗談のひとことで煙にまけるほど話術のない一歩では、口先でごまかすことなど無理に等しい。まして咄嗟の判断でうまい言い回しがでてくるはずもなかった。
いまさら、なんで今頃になって。そんな断片的な非難が喉にせりあがってくる。一歩が思いの丈を告げたときにはすげなく扱っておいて、どうして今になって、もう違うひとを選んでしまっているのに、―――どうして。
「卑怯だ、鷹村さん」
ずるいですよ。
顔をくしゃくしゃにゆがめた一歩が下唇を噛んでから絞りだした声は、わずかにかすれていた。
002:初恋
一度だけだと言って抱いた。ほんのちょっと(あるいはそれは、木村あたりからすれば「徹底的に」だったが)追い詰めてやっただけで簡単に頷くものだから宮田は拍子ぬけしてうっかりその場で笑ってしまった。一歩の目にそれはどううつっただろう。都合のいい目玉をもってるコイツのことだ、きっとさぞかし慈愛に満ちた微笑みに見えたことだろう。
自分を慰めてくれた良き友人に、骨の髄までずぶずぶと捕食されるなんて想像もしなかったに違いない。
「おまえさ、いじめられてたわりにガードがゆるいよな」
宮田の言葉に一歩がぐっと体に力をいれた。非難めいた責めから逃れようとすでにくだけた腰がゆれ動く。しかしそれも耳朶をやんわりとはまれるだけで宮田の言いなりになった。息をつめて官能をやりすごそうとする一歩の瞼がわずかに痙攣する。意外と長くて豊富な睫毛がつくる影が細かくゆれる。その仕草に嫌よ嫌よも好きのうちなんてオヤジくさい台詞が浮かぶぐらい、一歩は性の快楽にだらしなかった。
蛇口をひねるよりも簡単に(宮田がすこしうしろをいじるだけで)一歩の引き結んだ唇からは甘ったれた吐息がこぼれる。汗でしっとりとした肢体は、中学のころに見たAVだとか高校時代につくった彼女なんかよりずっと卑猥だ。それは宮田の頭の芯がぐらぐら煮立つような衝撃だった。
男の体がここまでの女仕様になるのだ、もとの飼い主に相当しこまれたんだろう。わかっていながら宮田は一歩自身が元々そうであったかのように彼にすりこんでいった。宮田自身、この淫乱だとか商売女のようだとか、まさか自分がひとに向かってそんな言葉を吐くことになるとは思いもしなかった。
そもそも。
慰めてやる、なんてチープな口説き文句ひとつでその身を預けるのなら、もっとずっと前からオレにしときゃよかったんだ。そういう薄汚い感情を隠しもしなかったというのに、アイツはオレの何を見ていたのか。信じてたのに、なんて白々しいことを息も絶え絶えに告げられて宮田はとうとうわらいをこらえることが出来なくなった。散々いいようになぶられておいて、いまさら。
これっきりってわけでもないくせに。
ずるいとわめく口をふさいで二度も三度もそうかわらねえよと悪魔のように囁いてやればコイツはその気になるのだ。こんなもの、オレだけのせいじゃない。
「今気持ちイイことしてやってンのは誰だよ」
言いざま、宮田が窄まりに性をあてがう。指どころの騒ぎじゃすまないものに何度もおしいられたそこは熱をもって宮田を(まるでそれはたてまえのように)拒んでいる。言えよと催促された一歩が自棄になって「宮田くんッ宮田くんだよお」と悲鳴をあげた。とろけて喜色っぽい顔をしておいてなんて強情なやつと宮田はわずかばかり苛立った。ちょっとばかり乱暴にあつかったって快感を取りこぼさずに喘いでしまう一歩が憎々しいのだ。