Short*

A triskelion 前編

 居酒屋のカウンターに腰掛けている二人組みを見つけて、宮田は安心した。しかし、ほっとして気が緩んだとしても、宮田はそれを他人に悟らせたりはしない。
 実はここにくるまでに一件店を間違えて、うっかり待ち合わせ場所ではない飲み屋に入店してしまったという事は、胸の奥にしまいこんで忘れる事にする。自分のライバル達には絶対知られたくない。
 人知れず決心した宮田は、首にまきつけたマフラーをとってやや歩幅を大きくした。
 振り向いてきた千堂と目があったので、宮田はそのまま視線をそらさずに口をひらいた。
「悪ぃ、遅くなった」
「なんやバイトやったんか」
 ああ、と手短に返事をする。いつもだったら千堂よりも先に一歩の方が自分に気がつくはずだが、宮田が一歩の隣の席へと腰を落ち着けても彼は一言も言葉を発しなかった。黙れと言っても宮田くん宮田くんとうるさい一歩だというのに、黙ったままだ。宮田は、幕之内が変だ、という感想を持った。
「…珍しいな」
 この面子で酒を飲むことか、それとも不自然なまでの一歩の物静かさに対してか、宮田が思わず呟いた。千堂は物知り顔でせやな、と言った。ついでとばかりにビールの追加をしている。つまみはもうたのんどいたで、とラミネート加工済みのメニュー表を手渡してくる。

 オレは飲まねえよ、という宮田の言葉に反応したのは、黙りこくっていた一歩だった。

「ボクが飲みますから、大丈夫です」
「お前、飲めるのか」
 驚いた、という表情を隠しもしないで宮田はついつい口を滑らせた。宮田の中の幕之内一歩は、いつまでもお子様だったので、なんだか違和感がある。千堂が一緒でなかったら間違いなく未成年に思われていただろう童顔が、そういった印象を与えやすいのかもしれないが、少なくとも宮田のもつイメージと飲酒はかけ離れていた。
「強いわけじゃないけど、まったく飲めないってわけでもないから」
「まあ幕之内も成人しとるしなァ」
 そういやあ、そうだった。こいつ二十歳超えてたっけと宮田は内心で納得した。そのまま自分の酒を注文する。



「で、なんで呼び出したんだよ」
 三人ともが一杯めのジョッキやグラスを空にした辺りで、宮田が切り出した。申し訳程度のつまみは、あらかた片付けられている。
 先ほどまでは千堂が話題を提供し、一歩がその話を聞いて、ときどき宮田が相槌を打つというスタンスだったが、よくよく考えてみれば千堂と宮田を呼び出したのは一歩なのだ。おしゃべりがしたかっただけなら鴨川ジムのメンバーで足りているだろうに、わざわざ自分たちを選んだという事は、何か理由があるのだろう。
 千堂も気になっていたようで、促すように宮田に賛同した。
 一歩が、ごくりと喉仏を動かした。
「あの、千堂さんと宮田くんって」
 いつ頃みみが落ちたんですか? とぼそぼそと呟いた。千堂と宮田が顔を見合わせて「みみ?」と反復する。
 一歩は自分の頭を指差して、ほら、これですよ、と頬を赤くして説明した。


 一歩の人差し指が示しているのは、彼の頭にちょこんと生えている獣の耳だ。ぴんと立った犬の耳は白い皮毛に覆われている。
 千堂と宮田は、絶句した。よもや幕之内一歩という純情な青年からそんな話題が飛び出てくるとは思いもしなかったからだ。せいぜい好きな女の子が出来ただとか出来ないだとかぐらいのものだろうと構えていた。デートしたいけどどうすればいいとか、中学生みたいな事を言うなとからかうつもりでいたというのに。
 予想を上回る展開に宮田は頭が痛かった。こいつ鷹村さんに毒されてきたんじゃあ、とまで考える。
 千堂は順応したのか、にやにやと笑っていた。
「ワイん時はチューガクのいっこ上の先輩やったなあ」
 とっくに顔は忘れてしもたんやけど、めっちゃイー身体しててん、と言いながら、千堂は両手で女性の身体らしいラインを何度か再現してみせた。一歩は気恥ずかしいのか、顔を赤らめたままだった。そういう話をふっておいて恥ずかしがんじゃねえよと宮田は思った。頭が痛い。はああ、と深い溜め息をついてひとり、もう一度メニュー表を手にとる。
 すると、一言も喋らなくなった宮田が気になったのか、一歩をからかっていた千堂の視線が投げかけられる。つられるようにして一歩の黒目がちな双眸が宮田に向けられた。
 嫌な予感がする。
「なァ、貴様はどーやったん。初体験」
 初体験、のくだりでやたらと一文字一文字区切るように強調されて、宮田は眉間に皺をよせた。そろそろと伺うような視線をよこしてくる一歩を睨む。一歩は咄嗟に千堂の方へと身体を傾けた。千堂は薄笑いを浮かべたままだった。
「お前と似たよーなもんだよ」
「なんや、結構慣れとるんやないか」
「別に」
 ちっと舌打ちしてそっぽを向いた宮田は、苛立ちをそのままに一歩にきり返す。矛先が自分にくるとは思っていなかった一歩は、もじもじと両手の指をつきあわせはじめた。何かを言いかけて、また口を閉じる。ええっと、その、あの、という言葉ばかりが店の喧騒に消えていく。
 はっきりしない様子に、千堂の左手が一歩の背中をぴしゃりと叩く。
「あの」
「はやく言えよ」
「…実はその、ボク…17歳の頃に経験してて」
 蚊のなくような小さな声だった。注意していてもなかなか聞き取れないレベルのそれに、千堂と宮田は目を白黒させる。
「…おい」
「い、今自分なんていうた」
「だ、だからですね、17の時に」
 一歩が言い切る前に、千堂は一歩の頭へと手を伸ばした。彼にしてはおそるおそる、ゆっくりと近づいていく。震える指先がもぞもぞと一歩の犬耳に触れる。
 しばらく何か思案するような渋い顔をしていた千堂が瞠目した。

「み、宮田…! 幕之内のヤツ、ほんまや…!」

 血相を変えた千堂が宮田の手を引っつかんで一歩の犬耳へと導く。血が通っていそうなやわらかな毛をかきわけ、地肌との境目に指が触れた瞬間、宮田ががばっと手を上へあげた。限界まで見開かれた宮田の目が一歩をうつす。
 千堂は「あかん…」と呟きながら、一歩の犬耳をそうっと取り外した。


 精巧につくられた付け耳に、二人は再度言葉を失った。


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掲載日2010年11月17日