第三話
薄暗いモーテル。安っぽい部屋に似合いのベッドのスプリングは利いていない。男二人分の体重をまともに受けて、ベッドは軋んだ悲鳴をもらしていた。
手繰り寄せたシーツを指先が白くなるまで握りこんで一歩は身をよじる。あさいグレーの海に顔をうずめて、一歩は歯をくいしばった。
男は一歩のトレーナーをたくし上げる。用をなさなくなった衣服がちらちらと一歩の視界にとびこんでくる。いよいよこの男に抱かれるのだという実感がわいた。
背を冷たい汗が滑っていく。一歩は引き結んだ唇の隙間から息を逃がすように吐き出し、静かに呼吸を整えた。ひとつ、ふたつ、みっつと声に出さずに数を唱える。
そうして男の指先の感覚を頭の片隅へ追いやろうと試みるが、そんな事すら見通している男に耳朶を噛まれて失敗した。自分とは対照的に男の息はまったく乱れていない。ただあついだけのそれに、一歩は早く終わってくれと願う事しか出来なかった。
あんまり逃げないんだね、と男は一歩の耳に舌を差しいれながら話す。舐られる不快感に一歩はちいさな悲鳴をこぼしてしまいそうになった。即座には反応してくれない左腕に歯をたててやり過ごそうとするが、男の手が、悪寒で立ち上がる一歩のちいさな乳頭にのばされたので、意味をなさなかった。抓るように指先で捏ねられ、痛みに声がこぼれおちた。
一歩の反応に気を良くしたのか、男は女の乳房をもみしだくように一歩の肌を撫ぜていく。
「おぼっこい顔してるけど、昔から好きだったよね」
返事を必要としていない言葉だった。まるで拒絶されることを心待ちにしているような台詞だが、例え一歩が反論したところでこの男がそれを許すわけがない。
わずかにでも逃げをうつように一歩が上へと這いずれば、それを理由に男の薄い手のひらが一歩の腰をつかまえる。
結局一歩はひたすらじっと、その場で我慢していなければならないのだ。
「…ぅあ、っ」
与えられる感覚を散らすために足に力をいれることも許されない。無力な子供が嵐が過ぎ去るのを待つように、一歩はただベッドの上で溺れていく。
男は、一歩がこの交わりが終わる事を待っているのだと心得ていた。追尋する指先は異様なまでに執拗にからみつく。まるで、一枚一枚蜻蛉の羽を千切るように、一歩を追い詰めるのを男はもったいぶった。一歩からじりじりと反抗心をあぶりだして、いたぶろうという腹積もりの男の手は、一歩の弱いところばかりを探り当て、微妙にずれた箇所ばかりを愛す。
振り払えもしないそれに背筋をゆっくりと撫で回されて肌があわだった。
深い息をゆっくりとはく。弄ばれる感覚をにがすには、気持ちと身体を切り離して受け入れる事だけだった。
「…ぃ、っ」
息をのむようなちいさな声は上擦っている。衣擦れの音の合間に時折部屋に響くそれが一歩の鼓膜を支配した。聞きたくないといわんばかりに頭を左右にふる。汗ばんだ額に前髪がはりついて、一歩の顔を幼く見せていた。
情けなさに泣きじゃくる顔だけは見られたくなかった一歩は、ぐいぐいとベッドに額を押し付けた。ん、ん、というくぐもった悲鳴がシーツに溶けていく。必死になってくわえていた左腕には内出血の痕があった。
唾液で濡れたそこに、男の唇があてがわれる。
「ずいぶんいい反応をするね。ひょっとして、くわえ込んでる人でもいるのかな?」
声の調子は相変わらず楽しそうだった。胸元までまくりあげたトレーナーをすっと引っ張り上げて床に放る。トレーナーはとうに放り出されている一歩のジャージと下着の上にばさりと落ちた。ちいさな音をとらえた一歩の耳は、耳朶までほんのりと赤い。
男の手馴れた様子に一歩の頬がひきつった。女にするように、丁寧にされるのは屈辱的だった。
一拍おくれて男の言葉の意味を理解した一歩の目が見開かれる。本能に流されつつある様子に、男は薄い唇を舌で舐めた。
首をひねるようにして男の方を見やった一歩の目に、男の舌なめずりがうつる。
「ぁ、や、…な、んでっ」
「いないんだ。じゃあ元々いやらしいカラダだったのかな」
「…い、わな…で…!」
一歩の羞恥を煽るように、男は卑しい言葉で指摘する。ぴたりと密着した男の上半身に脅えるように腰をひいた一歩は、ぎゅっと目瞼を閉じた。
一歩が脅えた隙をついて、彼の太腿をつかまえた男は割り裂くようにして両足の間へと身体を移動する。一気に引き寄せられた一歩は突然の事にシーツを掴んだ指をほどいてしまった。さらさらとした生地が汗ばんだ手のひらに吸い付いて、僅かに下へとずれてしまう。もがくように指先をさまよわせて、一歩はひったくるようにシーツをつかんだ。
瞬間、男の指が一歩の引き締まった臀部にのびる。尻の肉を鷲掴むように撫でる男に従って、一歩の身体は自然に腰をあげ、尻を突き出すように伏せた。まるで、待ち望んでいるかのようだった。
男の薄ら笑いがいっそう深くなる。
「ほら、そうやってしやすいようにしてくれるとことか。従順だね」
「…っ!」
涙でとけそうになっている双眸が痛ましいほどゆれた。
十三の頃に教えられたことがいまだに身体に染み付いている。その事実が一歩に衝撃を与え、また男を喜ばせた。
男の記憶と寸分たがわず一歩は喘ぐ。苦しそうに寄せられる眉根も恨みがましい態度もそのままに、かつて鳴かせた姿が今と重なる。身体つきはずいぶんと逞しくなっているが、根本的なところがまったく変わっていない。雄に組み伏せられる非力な雌のように、一歩は男に抱かれる事になれている。
男は舐めるように一歩を注視した。一歩の身体は歓喜と憎悪とでふるえている。
「いい子にしてたから、ご褒美をあげよっか」
汗でしっとりと濡れている足の付け根を食むように口付けて、男はことさらゆっくりと一歩の窄みに指をさしいれた。潤滑油を用いてない行為に一歩の背がしなる。シーツを握り締めた右手を自身の胸元へと移動させ、耐える姿勢をつくった。ふかくながく息を吐いて、それでも緩和しない異物感に一歩の顔が歪む。なるべく意識しないように肩を竦める一歩の首筋に、男は舌を這わせた。
左手の中指はまだ一歩の体内をたしかめるような動きをしている。
「あ、とはっ…つけな、…でくだ…ぃ」
悲痛な懇願に、男はわざとらしく片眉をつりあげてみせた。可哀想なほどに声もふるえている一歩に、男は、どうしてなのか先を促した。
プロボクサーの一歩は、人前で肌を見せる機会が多い。衣服で隠れる箇所であっても、上着を脱いでしまえばジムの誰かの目に晒す事になる。いくら気をつけていようと、ロッカーでの着替えや練習後のシャワーでは隠しようがない。くわえて言うならば、一歩自身がそういった行為と縁がなさそうに見えるため、気づかれれば詮索されるのは目に見えていた。
ちらちらと、ジムの先輩たちの顔が瞼の裏にあらわれる。
黙ったままの一歩に男の方が口を開いた。
「残念だけど、あんまりきいてあげられないお願いごとだね」
男は一歩の腰のあたりを右手でさする。このあたりだったら練習の時も隠れるんじゃないかな、と笑った。
「ぃ…や、だ…!」
「だめだよ。いい子にしてないと、ね」
一歩の制止の言葉を無視して、男は右の脇腹に唇をはわせた。ねっとりと舌先で皮膚をなぞり、一歩が痛みを覚えるほどきつく吸い付いた。ちいさな喘ぎをBGMに男は歯型もつけていく。キスをして、噛み付くという行為を何度も何度も男はくりかえした。
獣が肉を引き千切るようにして歯をつきたてられた一歩は、髪を振り乱して耐えた。一歩の腰が逃げようとすればするほど、男の歯が肌に肉に食い込んでじわじわと一歩を追い詰める。悲鳴をあげる度に男の指が内部を抉るので、一歩は自分の右手の甲に噛み付いた。
汗と涙でぐしゃぐしゃになった顔をシーツによせて、一歩はひたすら終わった後のことを考える。
この身体に施された証拠を見た彼らはどんな顔をするのだろうか。恐怖に押し潰されそうになった一歩は泣いた。
嫌だ、やめてという抵抗も、次第にすすり泣きの方が多くなり、弱弱しいものになった。
ぐったりとした一歩の背中を男がひっぱたく。まったく力の入っていないそれは、腰を持ち上げない一歩に対する叱責だった。ぴしゃりと咎めた男がおろそかになっていると笑った。
口腔でこもるような返事をして、一歩が男の指示に従った。よろよろと持ち上げられた腰にあわせるように男が指を増やす。先ほどからずっと慣らされていた一歩の柔肉はすんなりと受け入れたが、ひどい圧迫感と嫌悪感に一歩は吐き気を覚えた。責め苛むような指が、一歩を追い詰めていく。
一歩のしゃくりあげる声とぐちぐちという肉を弄ぶ音だけが、モーテルの一室に響く。
十二分に慣らされたそこから指を引き抜いて、男が自分のバックルに手をのばす。かちゃかちゃという小さな金属音に一歩はぼろぼろと涙を零した。
ベルトを外した男のすることなど、簡単に想像できてしまう。引き倒すように腰をつかまれて、一歩は目を瞑った。自分にこすりつけられている雄の存在を意識しないように瞼に力を込める。身をかたくして衝撃に耐えようとしている一歩を見下ろして、男は軽く自分の一物をこすりあげた。
ゆっくりと、一歩の体内に男が挿っていく。焦らすような動きに一歩の膝ががくがくと揺れた。男は構わず腰をすすめていく。
「ひッ…! アあ、ぁッ、う」
「やっぱり、素質あるんじゃないかな…っ」
「は、ぅ…っ…アアあ、…ィ、ゃ…!」
嗚咽と、それ以外の何かで息も絶え絶えの一歩に、男はぐいぐいとなかをかきまわす。
男のわずかな動きを敏感に拾い上げる一歩の体内はあつくうねって男を咥えこむ。ややきつすぎる感のある締め付けに、男の額にも汗が滲む。肉と肉のぶつかる音がせわしない。
「あ、…ん、ぁあ、ア!」
ゆるく引き抜かれたかと思うと、指などとは比べ物にならない圧倒的な質量で激しく揺す振られる。一歩はただただ口を開いて意味をなさない声を男に聞かせた。雌犬が媚びるように、白い腰が男にあわせてゆるゆると動く。一歩の躯は彼の意思とは裏腹に、性に貪欲だった。悩ましい声は女のものと寸分と違わぬ色をおびていた。
淫蕩な雰囲気などどこにもなく、張り詰めたような表情で一歩は男を見据えた。すでに服を着込んでいる一歩の顔には痛ましい残余が見受けられる。
何も言わない男を、泣きはらして赤くなった眼で一歩はにらみつけた。
「…先輩、かえして…くれないんです、か…?」
一歩は毅然とした態度をとろうとしているが、男には、これが精一杯の痩せ我慢なのだとわかっていた。一歩の肩も手も膝も脅えて、縮こまっている。
「ん。約束だから、ちゃんと渡すよ。怖い顔しないで」
そういって、男は厚みのある封筒を一歩に投げてよこした。床に落とされたそれを一歩が拾い上げる。
「中の確認もちゃあんとしてね。もしかしたら足りないかもしれないし」
一歩は一言も言わず、封筒をふるえる指先できつく握った。意外なほど重みのあるそれは一歩の手の中でくしゃりと音をたてた。茶封筒のうすい表面に皺がよっている。
一歩が、何等抵抗らしい抵抗をしなかった理由は、男の持っていたものにある。喫茶店に連れて行かれた時から、流石に鈍い一歩でもなんとなく展開の悪さは感じていた。
中学一年から三年まで、一歩はこの男にいいように扱われていた。正確に言えばこの男本人だけでなく、この男の仲間達も数えればきりがないほど慰みにつかわれていたのだ。向こうからしてみれば妊娠の可能性もなく、女よりも頑丈で、従順な奴隷みたいなものだったのだろう。事実、言いつけられれば一歩はたいていの事に従った。正直一歩自身誰に何をされたのかすら把握できていないほど、ぞんざいなものだったのだ。ただ、きっかけだけはひどくくだらない事だったと覚えている。
人気のない喫茶店で、男はそうした時期に撮ったという写真を一歩に見せた。大人しく自分についてきてくれたからその二枚は君にあげる、といった男の言葉に一歩は眼を見開いた。
一歩の手は考えるよりも先に、机におかれた写真を隠すように動いた。
血の気が失せた顔で男を見ると、察しがいいねとほめられる。写真は二枚だけでも、ただ昔馴染みと話しがしたいわけでもない。自分達の関係を考えれば、すぐに答えなどでてしまう。
すべての写真と引き換えにもう一度抱かれろという申し出を、一歩は受け入れた。名前もしらないこの先輩の言うとおりに助手席へ座って、自分から安いモーテルに足を運んだ。
今日のことぐらい、せめて意味を持たせたい。無理に声を出し続けてかすれてしまった喉に手をあてて、一歩がゆっくりと口をひらく。
「…ネガの方も、いただけますか」
一歩の声はかたい。警戒心をありありと感じさせる佇まいに男は苦笑した。
「…さっきまで仲良くしてたのに、そんな言い方はひどいんじゃないかな」
「ひどい、ですって? なら先輩達がしたことは、どうなんですか…!」
泣き崩れそうな一歩に、男は薄く笑みを貼り付けたまま続ける。軽薄そうな顔に、一歩は眉をよせた。
「写真を返すとは言ったけど、ネガまであげるなんて言ってないよ」
「なっ…! そんなことっ」
「でも、約束してないしね? どうしてもっていうなら、今この場でもう一回相手をしてくれるなら考えてもいいんだけど…ちょっと厳しいかな?」
断れない事を見越して男はたずねる。選択する権利など根こそぎ奪っておいて何を言うのだろうか。一歩は、ゆっくりと瞼を閉じる。
「それで本当に全部ですね?」
一歩の確認に男は頷く。そうですか、と呟いた一歩は今度は自分からトレーナーを脱ぎ捨てた。